(三十一)川を渡って天の都へ
私が見ていると、二人は目を覚まし、都へ上っていく支度をした。けれども、前にも言ったように、都に照り返す日の光はあまりにも輝かしかった。都は純金でできていたのである。それで二人は、まだ顔おおいなしに都を見ることができなかった。そのために作られた器具を通して見るほかなかったのである。さらに見ていくと、金のように輝く衣を着た人が二人、彼らを出迎えた。その顔も光のように輝いていた(黙示録二一・一八、第二コリント三・一八)。
その人たちは巡礼者たちに、どこから来たのかと尋ねた。巡礼者たちは答えた。その人たちはまた、どこに泊まったのか、道中でどんな困難や危険に、どんな慰めや楽しみに出会ったのかと尋ねた。巡礼者たちはそれにも答えた。すると、出迎えた人たちは言った。
「あなたがたが出会う困難は、あと二つだけです。それを越えれば、都に入れます」
そこでクリスチャンとその連れは、一緒に行ってくれるようにと、その人たちに頼んだ。その人たちは、行きましょうと答えた。けれども、こう言い添えた。
「ただし、そこに着けるかどうかは、あなたがた自身の信仰にかかっています」
私が夢の中で見ていると、彼らは一緒に進み、やがて門の見えるところまで来た。
さらに見ていると、彼らと門とのあいだには川があった。けれども、渡る橋はなく、川はとても深かった。巡礼者たちはこの川を見て、すっかり途方に暮れた。けれども、一緒に来た人たちは言った。
「この川を渡って行かなければ、門にはたどり着けません」
そこで巡礼者たちは、門へ行くほかの道はないのかと尋ねた。その人たちは答えた。
「あります。けれども、世の初めから、その道を通ることをゆるされたのは、エノクとエリヤの二人だけです。終わりのラッパが鳴るまで、ほかにゆるされる者はありません(第一コリント一五・五一〜五二)」
すると巡礼者たちは気落ちし始めた。とりわけクリスチャンがそうだった。二人はあちらこちらを見回したが、川を避けて通れる道はどこにも見つからなかった。そこで二人は、水の深さはどこも同じなのかと尋ねた。その人たちは、そうではないと答えた。けれども、そのことでは二人を助けることはできなかった。その人たちはこう言ったのである。
「この国の王をどれほど信じるかによって、川は深くも浅くもなるのです」
それから二人は水に向かい、中へ入っていった。するとクリスチャンが沈み始めた。彼は良い友〈希望〉に向かって叫んだ。
「私は深い水に沈んでいきます。大波が頭の上を越えていきます。主の波がことごとく私の上を越えていきます。セラ」
すると、もう一人が言った。
「元気を出してください、兄弟よ。足が底に着きました。しっかりした底です」
するとクリスチャンが言った。
「ああ、友よ、死の綱が私を取り巻いています。私は乳と蜜の流れる地を見ることはないでしょう」
そう言うと、大きな暗闇と恐れがクリスチャンを襲い、彼は前が見えなくなった。また、ここで彼はほとんど正気を失った。巡礼の旅の途中で受けた、あの快い慰めの数々を、何一つ思い出すことも、筋道立てて語ることもできなかった。それでも、彼の口にすることはみな、心の恐れをあらわしていた。この川で死んでしまい、門に入れてもらえないのではないかと、心の底から恐れていたのである。そばに立っていた人たちが気づいたように、彼はまた、自分の犯した罪のことでひどく思い悩んでいた。巡礼者になる前の罪も、なってからの罪もである。さらに、地獄の妖精や悪霊の幻にも悩まされているようだった。ときどき、そのようなことを口にしたからである。
そのため、ここで希望は、兄弟の頭を水の上に出しておくのにたいへん苦労した。実に、クリスチャンはときどきすっかり沈んでしまった。そしてしばらくすると、半死半生でまた浮かび上がってきた。希望はまた、こう言って彼を慰めようとした。
「兄弟よ、門が見えます。私たちを迎えようと、人々がそばに立っています」
けれども、クリスチャンはこう答えるのだった。
「あなたです。あの人たちが待っているのは、あなたです。あなたは、私が知り合ってからずっと、希望に満ちていましたから」
希望はクリスチャンに言った。
「あなただってそうでした」
クリスチャンは言った。
「ああ、兄弟よ、もし私が正しい者なら、主は今こそ立ち上がって、私を助けてくださるはずです。けれども、主は私の罪のゆえに、私をわなに陥れ、見捨ててしまわれたのです」
すると希望が言った。
「兄弟よ、あなたは悪しき者について言われているみことばを、すっかり忘れてしまったのですね。『彼らは死ぬときにも苦しみがなく、その身はすこやかで、ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない』(詩篇七三・四〜五)。あなたがこの水の中で味わっている苦しみや悩みは、神があなたを見捨てられたしるしではありません。あなたを試すために送られたものです。これまで神から受けた恵みを思い起こすかどうか、苦しみの中でも神により頼んで生きるかどうかを、試しておられるのです」
それから私が夢の中で見ていると、クリスチャンはしばらく物思いに沈んでいた。そこへ希望が、さらにこう言い添えた。
「元気を出してください。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです」
するとクリスチャンが大声で叫んだ。
「ああ、またあの方が見えます。あの方は私にこう言っておられます。『あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない』(イザヤ四三・二)」
それで二人とも勇気を取り戻した。それからは、敵は石のように静まり返り、二人が渡り終えるまで何もしなかった。クリスチャンはすぐに足の立つところを見つけた。そこから先、川はずっと浅かった。こうして二人は川を渡りきった。
さて、川の向こう岸で、巡礼者たちはあの二人の輝く者にまた会った。輝く者たちはそこで二人を待っていたのである。そこで、二人が川から上がると、輝く者たちはあいさつして言った。
「私たちは仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされた者です」
こうして彼らは門のほうへ進んでいった。
ここで心にとめておいてほしいのは、都が大きな山の上に建っていたことである。けれども、巡礼者たちは楽々とその山を登っていった。あの輝く者たちが両腕を取って、上へと導いてくれたからである。また、二人は死ぬべき身の衣を、川の中に置いてきていた。それを着たまま川に入ったのに、出てきたときには着ていなかったのである。都の土台は雲よりも高いところにあった。それでも二人は、とても身軽に、すばやく登っていった。こうして二人は、道々楽しく語り合いながら、大空を通って上っていった。無事に川を越えたこと、またこれほど栄光ある連れが付き添ってくれていることに、心慰められていたのである。
さあ、さあ、見よ、聖なる巡礼者たちが乗りゆくさまを。雲は彼らの車、天使は彼らの導き手。ここで誰が、その方のためにあらゆる危険を冒さずにいようかこの世を終えたご自分の民に、こうして備えてくださる方のために。
輝く者たちと交わした話は、その場所の栄光についてだった。輝く者たちは、その美しさと栄光は言葉では言いあらわせないと語った。
「そこには『シオンの山、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、全うされた義人の霊』があります(ヘブル一二・二二〜二四)。あなたがたは今、神のパラダイスへ向かっているのです。そこでいのちの木を見て、決してしぼむことのないその実を食べるでしょう。そこに着けば白い衣を与えられ、毎日王と共に歩み、語り合うのです。それも永遠に、いつまでもです(黙示録二・七、三・四、二一・四〜五)。そこでは、下の地上で見たようなものは、もう見ることはありません。すなわち、悲しみ、病、苦しみ、死です。『先のものが、すでに過ぎ去ったからである』。あなたがたは今、アブラハム、イサク、ヤコブのもとへ、預言者たちのもとへ行くのです。彼らは、来るべき災の前に、神が取り去られた人々です。そして今は『その床に休み、それぞれ正直に歩んで』いるのです(イザヤ五七・一〜二、六五・一七)」
そこで巡礼者たちは尋ねた。
「聖なる所で、私たちは何をするのですか」
輝く者たちは答えた。
「そこであなたがたは、すべての労苦の慰めを受け、すべての悲しみに代えて喜びを得ます。自分のまいたもの、すなわち道中、王のためにささげた祈り、流した涙、耐えた苦しみの実を刈り取るのです(ガラテヤ六・七)。その所では金の冠をかぶり、聖なる方をいつも仰ぎ見ることができます。『そのまことの御姿を見る』からです(第一ヨハネ三・二)。そこではまた、賛美と喜びの叫びと感謝とをもって、絶えずその方に仕えます。この世でも、肉の弱さのためにひどく苦労しながら、その方に仕えたいと願ってきたのでした。そこでは、あなたがたの目は見ることを喜び、耳は力ある方の快い声を聞くことを喜ぶでしょう。先にそこへ行った友人たちとも、また共に楽しむことができます。あとから聖なる所に来る人々を、一人残らず喜んで迎えることもできます。そこではまた、栄光と威厳とを身にまといます。そして、栄光の王と共に出かけるにふさわしい装いを与えられます。王がラッパの響きとともに、風の翼に乗るようにして雲のうちに来られるとき、あなたがたも王と共に来るのです。王がさばきの座に着かれるとき、あなたがたもそのかたわらに座ります。実に、王が不法を行うすべての者に判決を下されるとき、それが天使であれ人であれ、あなたがたもそのさばきに加わるのです。彼らは王の敵であり、あなたがたの敵でもあったからです(第一テサロニケ四・一三〜一六、ユダ一四、ダニエル七・九〜一〇、第一コリント六・二〜三)。また、王が再び都へ帰られるとき、あなたがたもラッパの響きとともに帰り、いつまでも王と共にいるのです」
さて、彼らがこうして門に近づいていくと、見よ、天の軍勢の一団が出迎えに来た。あの二人の輝く者は、その一団に言った。
「この人たちは、世にいたときに私たちの主を愛し、主の聖なる御名のためにすべてを捨てた人々です。主は私たちをつかわして、この人たちを迎えに行かせられました。私たちは、この人たちが願い求めてきた旅の終わり近くまで、付き添って来ました。中に入って、喜びをもってあがない主の御顔を仰ぐことができるようにです」
すると天の軍勢は大声で叫んで言った。
「小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」(黙示録一九・九)
このときにはまた、王のラッパ手が幾人も出迎えに来た。彼らは白く輝く衣を着ていた。そして美しく高らかな響きで、天そのものをこだまさせた。ラッパ手たちは、世から来たクリスチャンとその連れを、幾千幾万の歓迎の言葉で迎えた。喜びの叫びとラッパの響きとをもって、そうしたのである。
それが終わると、ラッパ手たちは二人を四方から取り囲んだ。ある者は前を、ある者は後ろを、ある者は右を、ある者は左を進んだ。天の高みを通るあいだ、二人を守るかのようであった。そして進みながら、美しい調べを高らかに鳴らし続けた。それを見ることのできた人には、天そのものが二人を迎えに降りてきたかのように見えた。こうして彼らは一緒に歩いていった。歩きながら、ラッパ手たちは喜ばしい音を響かせ、その音楽にまなざしや身ぶりを交えた。そうして、クリスチャンとその兄弟に、何度も伝えたのである。二人を仲間に迎えるのがどれほどうれしいか、どれほど喜んで出迎えに来たかを。こうして二人は、天に着く前から、いわば天にいるようなものだった。天使たちの姿を見、その美しい調べを聞いて、すっかりその中に包まれていたからである。ここではまた、都そのものが見えていた。都じゅうの鐘が鳴り響いて、自分たちを迎えているように聞こえた。けれども、何にもまして、このような仲間と共にそこに住むこと。それも世々限りなく住むこと。それを思うと、二人の心は熱い喜びに満ちた。ああ、その栄光ある喜びを、どんな舌が、どんな筆が言いあらわせるだろうか! こうして二人は門の前に着いた。
さて、二人が門の前に来ると、その上には金の文字でこう書かれていた。
『いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、その戒めを行う者たちは、さいわいである』(黙示録二二・一四)
それから私が夢の中で見ていると、輝く者たちは、門で呼ばわるようにと二人に言った。二人がそうすると、門の上から何人かがのぞいた。エノク、モーセ、エリヤなどであった。その人々に向かって、こう告げられた。
「この巡礼者たちは、この国の王を愛するゆえに、〈滅びの町〉からやって来たのです」
それから巡礼者たちは、初めに受け取っていた証書を、めいめい彼らに差し出した。証書は王のもとへ届けられた。王はそれを読むと、こう言われた。
「その人たちはどこにいるのか」
すると、こう答えがあった。
「門の外に立っています」
そこで王は命じて言われた。
「門を開いて、信仰を守る正しい国民を入れよ」(イザヤ二六・二)
私が夢の中で見ていると、この二人は門を入っていった。すると見よ、入ると同時に二人の姿は変わり、金のように輝く衣を着せられた。また、竪琴と冠を持って出迎え、それを二人に与える者たちもいた。竪琴は賛美するため、冠は誉れのしるしである。それから夢の中で聞いていると、都じゅうの鐘が喜びのあまりまた鳴り響いた。そして二人に向かって、こう言われた。
「主の喜びに入りなさい」
また、二人自身が大声で歌って、こう言うのが聞こえた。
「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」(黙示録五・一三)
さて、二人を入れるために門が開かれたちょうどそのとき、私は二人のあとから中をのぞいた。すると見よ、都は太陽のように輝いていた。通りも金で敷きつめられていた。そこには大勢の人が歩いていた。頭には冠をかぶり、手にはしゅろの枝を持ち、賛美を歌うための金の竪琴を携えていた。翼のある者たちもいた。彼らは絶え間なく互いに呼びかわして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主」(黙示録四・八)
それから門は閉ざされた。それを見て、私は自分もあの人たちの中にいたらと願った。