(三十)ベウラの国
私が夢の中で見ていると、巡礼者たちはこのころには〈魔法の地〉を抜けて、〈ベウラの国〉に入っていた。その国の空気はとても甘く、心地よかった。道はまっすぐその国を通っていたので、二人はしばらくそこで心を休めた。実に、ここでは絶えず鳥のさえずりが聞こえた。毎日、花が地にあらわれるのが見え、山ばとの声がその地に聞こえた(イザヤ六二・四、雅歌二・一〇〜一二)。この国では、太陽は夜も昼も照っていた。つまり、ここはもう死の陰の谷を越えたところで、巨人〈絶望〉の手も届かなかった。ここからは〈疑いの城〉を見ることさえできなかった。その代わり、ここからは目指す都が見えた。また、ここでは都の住人の何人かが二人を出迎えた。この地は天国の境にあったので、輝く者たちがよく歩いていたのである。この地ではまた、花嫁と花婿の契りが新たにされた。実に、ここでは『花婿が花嫁を喜ぶように』、彼らの神は彼らを喜ばれたのである(イザヤ六二・五)。ここでは穀物にもぶどう酒にも事欠かなかった。巡礼の旅のあいだずっと求めてきたものに、この地で豊かに出会ったからである(イザヤ六二・八)。ここで二人は、都の中から大きな声が言うのを聞いた。『シオンの娘に言え、見よ、あなたの救は来る。見よ、その報いは主と共にある』。ここでは、その国の住人がみな、二人を『聖なる民、主にあがなわれた者、尋ね求められる者』などと呼んだ(イザヤ六二・一一〜一二)。
この地を歩いていくと、目指す御国から遠く離れたところにいたときよりも、喜びが多くなった。都に近づくにつれて、都の姿はいっそうはっきりと見えてきた。都は真珠と宝石で建てられ、通りは金で敷きつめられていた。都そのものの栄光と、そこに照り返す日の光のために、クリスチャンは慕わしさのあまり病気になった。〈希望〉も同じ病に一、二度襲われた。そこで二人は、その病のためにしばらく伏せり、苦しさのあまり叫んだ。
「もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください」
けれども、二人は少し力づけられ、病にもいくらか耐えられるようになったので、また道を歩きだした。そして、ますます都に近づいていった。そこには果樹園やぶどう畑や庭園があり、その門は大路に向かって開いていた。二人がそのあたりまで来ると、見よ、庭師が道に立っていた。巡礼者たちは庭師に言った。
「この見事なぶどう畑や庭園は、どなたのものですか」
庭師は答えた。
「王のものです。王ご自身が楽しまれるために、また巡礼者たちが心を休めるために、ここに植えられているのです」
そして庭師は二人をぶどう畑に連れて入り、おいしい実を食べて元気を取り戻すようにと言った(申命記二三・二四)。また、王が好んで歩かれる道や、好んで過ごされるあずまやも見せてくれた。二人はそこにとどまって眠った。
私が夢の中で見ていると、このとき二人は、旅のどのときよりも、眠りながらよく話した。私がそのことを不思議に思っていると、庭師が私にまで言った。
「なぜこのことを不思議に思うのですか。これは、このぶどう畑の実の性質なのです。この実は『なめらかに流れ下って、眠っている者のくちびるに語らせる』のです」