ジョン・バニヤン『天路歴程』

(二十九)一時しのぎの話

クリスチャン「さて、私たちの隣人の〈無知〉さんは、今はひとりにしておきましょう。そして、ほかの有益な問題に取りかかりましょう」

希望「喜んで。でも、やはりあなたから始めてください」

クリスチャン「では、聞きますが、十年ほど前、あなたの地方に〈一時しのぎ〉という人がいたのを知りませんか。その頃は、信仰に熱心な人でしたが」

希望「知っているかですって! ええ、知っています。〈正直の町〉から二マイルほど離れた〈恵みなしの町〉に住んでいました。〈逆戻り〉という人の隣に住んでいたのです」

クリスチャン「そうです。逆戻りとひとつ屋根の下に住んでいたのです。さて、あの人は一度、強く目を覚まされたことがありました。そのときには、自分の罪と、罪の支払う報酬とが、いくらか見えていたのだと思います」

希望「私もそう思います。私の家はあの人のところから三マイルと離れていなかったので、あの人はよく私のところへ来ました。それも、ひどく涙を流しながらです。本当にあの人が気の毒でしたし、あの人に望みがまったくないとも思っていませんでした。けれども、おわかりのように、『主よ、主よ』と叫ぶ者が、みな天国にはいるのではないのです」

クリスチャン「あの人は一度、私に言いました。今の私たちのように、巡礼に出ようと決心した、と。ところが、急に〈自己救済〉という人と知り合いになりました。それからは、私とは疎遠になってしまったのです」

希望「さて、あの人の話をしているのですから、あの人やそういうほかの人たちが、急に信仰から離れてしまう理由を、少し考えてみましょう」

クリスチャン「それはとても有益かもしれません。でも、今度はあなたから始めてください」

希望「では言いましょう。私の考えでは、それには四つの理由があります。

一、そういう人たちは、良心は目覚めさせられても、心は変えられていません。ですから、罪の責めの力が薄れていくと、彼らを信仰に駆り立てていたものがなくなります。そこで、生まれつきのままに、また元の道に戻ってしまうのです。ちょうど、食べた物にあたった犬のようです。気分が悪いあいだは、犬は食べた物をすっかり吐き出します。犬に心があると言えるならの話ですが、犬は好き好んで吐くのではありません。ただ胃が苦しいから吐くのです。けれども、気分が治って胃が楽になると、犬は向きを変えて、それをすっかりなめてしまいます。犬の欲は、吐いた物から少しも離れていないからです。こうして、『犬は自分の吐いた物に帰る』と書いてあるとおりになるのです(第二ペテロ二・二二)。つまり、こういうことです。彼らが天国を熱く求めるのは、ただ地獄の苦しみを感じて恐れるからにすぎません。ですから、滅びを感じて恐れる気持ちが冷めていくにつれて、天国と救いを求める思いも冷めていくのです。こうして、罪の責めと恐れがなくなると、天国と幸いを求める思いも消えてしまい、彼らはまた元の道に戻るのです。二、もう一つの理由は、彼らが奴隷のような恐れに支配されていることです。今言っているのは、人に対する恐れのことです。『人を恐れると、わなに陥る』からです(箴言二九・二五)。ですから、地獄の炎が耳もとで燃えているあいだは、天国を熱く求めているように見えても、その恐ろしさが少しおさまると、賢くふるまうのがよい、と考え直すのです。何のためかもわからないのに、すべてを失う危険を冒すことはない。少なくとも、避けようのない、しかも無用な苦労を背負い込むことはない、と。こうして、彼らはまたこの世と調子を合わせるのです。三、信仰につきまとう恥もまた、彼らの行く手に置かれたつまずきの石です。彼らは高慢で横柄です。その目には、信仰が卑しく、さげすむべきものに映ります。ですから、地獄とやがて来る御怒りを感じなくなると、また以前の道に戻ってしまうのです。四、罪の責めを感じることや、恐ろしいことを思いめぐらすことは、彼らにとって耐えがたいのです。彼らは、みじめな目にあう前に、自分のみじめさを見たくないのです。もっとも、最初にそれを見たとき、その光景を喜んで受け入れていたなら、正しい者が走りこんで救を得る所へ、彼らも逃げ込めたかもしれません。けれども、先ほどもほのめかしたように、彼らは罪の責めや恐ろしさを思うことさえ避けます。ですから、神の恐ろしさと御怒りに目覚めさせられた思いを、いったん振り払ってしまうと、喜んで心をかたくなにします。そして、ますます心をかたくなにするような道を選ぶのです」

クリスチャン「あなたの言うことは、かなり核心に迫っています。結局のところ、すべての根は、彼らの心と意志が変えられていないことにあるのです。ですから、彼らは裁判官の前に立つ犯罪人のようなものにすぎません。犯罪人は震えおののき、心の底から悔い改めているように見えます。けれども、その根にあるのは、絞首刑の縄への恐れなのです。犯した罪を憎んでいるのではありません。それは明らかです。この男を自由の身にしてやれば、また盗みをはたらき、悪党のままでいるでしょうから。もし心が変えられていたなら、そうはならないはずです」

希望「私は、彼らが信仰から離れていく理由をお話ししました。今度はあなたが、どのように離れていくのかを教えてください」

クリスチャン「喜んでお話ししましょう。

一、彼らは、神のこと、死のこと、やがて来るさばきのことを思い出さないように、できるかぎり思いをそらします。二、それから、人目につかないところでのつとめを、少しずつやめていきます。密室の祈り、欲を抑えること、目を覚ましていること、罪を悲しむことなどです。三、それから、生き生きとした熱心な信者たちとの交わりを避けるようになります。四、そのあとで、公のつとめに冷淡になります。みことばを聞くこと、読むこと、信仰についての語り合いなどです。五、それから、神を敬う人たちの何人かについて、俗に言うあら探しを始めます。それも悪魔のようなやり方でです。その人たちに見つけたいくつかの弱さを口実にして、信仰を投げ捨てるための、もっともらしい理由を手に入れたいのです。六、それから、肉に従う、ふしだらで、みだらな人たちにくっつき、彼らと付き合うようになります。七、それから、ひそかに肉的でみだらな話にふけるようになります。そして、立派だと思われている人にそういうところを見つけると、喜びます。その人を手本にして、もっと大胆にそうできるからです。八、このあと、小さな罪を公然ともてあそぶようになります。九、そして、かたくなになって、ありのままの姿を現すのです。こうして、彼らはまたみじめさの淵へと投げ出されます。恵みの奇跡がそれを防がないかぎり、彼らは自分自身の欺きの中で、永遠に滅びるのです」