ジョン・バニヤン『天路歴程』

(十九)ロトの妻

私が見ていると、この野のちょうど向こう側で、巡礼者たちはある場所に来た。そこには、街道のすぐわきに、古い記念碑が立っていた。その形が奇妙だったので、二人とも見て気にかかった。それは、女が柱の形に変えられたもののように見えたのである。そこで二人は立ち止まり、それをじっと見つめていた。けれども、しばらくは、それをどう考えたらよいのかわからなかった。とうとう〈希望〉が、柱の頭のところに、見なれない字体で何か書いてあるのを見つけた。ただ、彼には学がなかった。そこで、学問のあるクリスチャンを呼んで、意味が読み取れるかどうか見てもらった。クリスチャンが来て、しばらく文字をつなぎ合わせてみると、それは『ロトの妻のことを思い出しなさい』という言葉だとわかった。そこで彼は、それを連れに読んで聞かせた。そのあと二人は、これはロトの妻が変えられた塩の柱に違いない、と結論した。彼女は、助かるためにソドムから出て行くとき、むさぼりの心でうしろを顧みたので、そうなったのである(創世記一九・二六)。この突然の驚くべき光景がきっかけとなって、二人は次のような話をした。

クリスチャン「ああ、兄弟よ、これは折にかなった光景です。デマスが〈利得〉の丘を見に来るようにと私たちを誘ったあとで、ちょうどよく現れてくれました。もし私たちが、デマスの望んだとおりに、またあなたがその気になっていたとおりに、あちらへ行っていたらどうでしょう。私たちもこの女のように、後から来る人々の見せ物にされていたかもしれません」

希望「あんなに愚かだったことが悔やまれます。今ロトの妻のようになっていないのが、不思議なくらいです。彼女の罪と私の罪とで、どこが違うのでしょうか。彼女はうしろを振り返っただけです。けれども私は、見に行きたいと望んだのです。ただ恵みをほめたたえます。そして、このようなことが一度でも私の心にあったことを、恥じ入るばかりです」

クリスチャン「ここで見たことを心に留めておきましょう。これから先の助けになりますから。この女は、一つのさばきは逃れました。ソドムの滅びでは倒れなかったのです。けれども、ご覧のとおり、別のさばきで滅ぼされました。塩の柱に変えられたのです」

希望「そのとおりです。彼女は私たちにとって、警告にも見せしめにもなるでしょう。警告とは、彼女の罪を避けよ、ということです。見せしめとは、この警告によっても思いとどまらない者に、どんなさばきが下るかを示すしるしです。コラ、ダタン、アビラムと、その罪のうちに滅びた二百五十人も、同じように、ほかの人々が気をつけるためのしるしとなり、戒めの鏡となりました(民数記二六・九〜一〇)。けれども何よりも、私には一つのことが不思議でなりません。デマスとその仲間が、どうしてあんなに平然と向こうに立って、あの宝を探していられるのか、ということです。この女は、そうした宝を惜しんでうしろを振り返っただけで、塩の柱に変えられました。道から一歩でも踏み出したとは、聖書には書かれていないのです。しかも彼女は、さばきを受けて、彼らのいる場所から見えるところで見せしめにされているのです。目を上げさえすれば、彼らは彼女を見ないわけにはいきません」

クリスチャン「まったく驚くべきことです。それは、彼らの心がもう救いようのないものになっている証拠です。彼らにぴったりのたとえは、裁判官の目の前ですりを働く者か、絞首台の下で巾着を切る者くらいしか思いつきません。ソドムの人々は『はなはだしい罪びと』であったと言われています。彼らが『主に対して』、つまり主の目の前で罪を犯したからです。しかも、主が彼らに示された慈しみにもかかわらず、そうしたのです(創世記一三・一三)。そのころソドムの地は、昔のエデンの園のようだったのですから(創世記一三・一〇)。そのため、主はなおさらねたみを起こされました。そして、天からの主の火が燃やせる限りの激しい災いを、彼らに下されたのです。ですから、こう結論するのが最も道理にかなっています。この人たちのように主の目の前で罪を犯す者は、最も厳しいさばきを受けるほかありません。しかも彼らは、そうしないよう戒めるために絶えず目の前に置かれている見せしめを、ものともせずに罪を犯しているのです」

希望「確かに、おっしゃるとおりです。けれども、あなたも、とりわけ私も、この見せしめにされなかったとは、何というあわれみでしょう! このことは、神に感謝し、御前に恐れをいだき、いつもロトの妻のことを思い出すきっかけを、私たちに与えてくれます」