(十七)下心とその仲間たち
私が夢の中で見ていると、クリスチャンは一人で出て行ったのではなかった。〈希望〉という名の人が、彼に加わったのである。希望は、クリスチャンと〈忠実〉が市で苦しみを受けたときの言葉とふるまいを見て、望みを抱くようになった。希望はクリスチャンと兄弟の契りを結び、旅の連れになりたいと言った。こうして、一人は真理をあかしするために死んだ。そしてもう一人が、その灰の中からよみがえり、クリスチャンの巡礼の連れとなった。
希望はまた、クリスチャンにこう言った。市の人々の中には、折を見てあとに続く者がまだ大勢いる、と。
私が見ていると、二人は市を出るとまもなく、前を歩いている一人の男に追いついた。その男の名は〈下心〉といった。二人は男に言った。
「どちらのご出身ですか。この道をどこまで行かれるのですか」
男は答えた。自分は〈甘言の町〉から来た、天の都へ行くところだ、と。けれども、名前は言わなかった。
クリスチャン「甘言の町からですか。あそこに善い人が住んでいるのでしょうか(箴言二六・二五)」
下心「ええ、そう願っていますよ」
クリスチャン「失礼ですが、何とお呼びすればよいでしょうか」
下心「私はあなたを存じませんし、あなたも私をご存じありません。この道を行かれるのでしたら、喜んでご一緒しましょう。そうでなければ、しかたがありません」
クリスチャン「甘言の町のことなら聞いたことがあります。たしか、豊かな町だという話でした」
下心「ええ、そのとおりですとも。あの町には、金持ちの親類がたくさんおります」
クリスチャン「立ち入ったことを伺うようですが、その親類の方々とはどなたですか」
下心「町のほとんど全部ですよ。とくに、〈変節〉卿、〈日和見〉卿、それに〈甘言〉卿がおります。甘言卿の先祖から、あの町の名が付いたのです。それから、〈如才なし〉、〈二股〉、〈何でも屋〉もそうです。私どもの教区の牧師の〈二枚舌〉は、私の母の実の兄弟でした。父方のですがね。実を申しますと、私は今では身分のある紳士になりました。けれども、曽祖父はただの船頭でした。片方を見ながら、反対の方へ漕ぐ船頭です。私も財産の大部分を、同じ商売で手に入れました」
クリスチャン「ご結婚はされているのですか」
下心「ええ。妻はたいへん徳の高い女で、母親も徳の高い女でした。妻は〈見せかけ〉夫人の娘です。ですから、たいへん立派な家柄の出なのです。しつけも申し分なく、王侯にも農夫にも、誰に対してもうまくふるまうすべを心得ております。たしかに私どもは、信仰の点で厳格な方々といくらか違っております。でも、それもほんの二つの小さな点だけです。第一に、私どもは決して風や潮に逆らいません。第二に、私どもがいちばん熱心になるのは、信仰が銀の靴をはいて歩くときです。日が照っていて、人々が信仰に拍手を送るときに、信仰と一緒に通りを歩くのが大好きなのです」
そこでクリスチャンは、連れの希望のほうへ少し寄って言った。
「ふと思ったのですが、この人は甘言の町の下心という人ではないでしょうか。もしそうなら、このあたりきっての悪党と道連れになっていることになります」
すると希望は言った。
「聞いてみてはどうですか。自分の名を恥じたりはしないはずです」
そこでクリスチャンは、またその男に追いついて言った。
「あなたは、世の中の誰よりも物事をよくご存じのような話し方をなさいますね。私の見当が外れていなければ、あなたが誰なのか、だいたい察しがつきます。あなたは甘言の町の下心さんではありませんか」
下心「それは私の名前ではありません。実はあだ名でして、私を嫌う人たちが付けたのです。ほかの善い人たちも、私より前に、それぞれのそしりを負ってきました。私も、これをそしりとして甘んじて負わなければなりません」
クリスチャン「けれども、人からその名で呼ばれるようなきっかけを、ご自分で作ったことはないのですか」
下心「とんでもない、とんでもない! この名前で呼ばれるきっかけになったことといえば、せいぜいこれくらいです。私はいつも運よく、その時々の世の流れに考えが合ったのです。それがどんな流れであってもです。そして、たまたまそれで得をしてきました。そういうものが私に巡ってきたのなら、私はそれを祝福と思うことにします。だからといって、意地の悪い人たちにそしりを浴びせられるいわれはありません」
クリスチャン「やはりあなたは、私が噂に聞いた人だったのですね。思ったことを申し上げましょう。この名前は、あなたが私たちに思わせたいよりも、ずっとあなたにふさわしいのではないかと思います」
下心「まあ、そう思われるのなら、しかたがありません。それでも、仲間に入れていただければ、私がよい道連れだとおわかりになるでしょう」
クリスチャン「私たちと一緒に行くなら、風や潮に逆らって進まなければなりません。それはどうやら、あなたの考えに反するようですね。また、信仰が銀の靴をはいているときだけでなく、ぼろをまとっているときにも、信仰を自分のものと認めなければなりません。信仰が拍手を浴びて通りを歩くときだけでなく、鉄の鎖につながれているときにも、信仰の味方をしなければなりません」
下心「私の信仰に口出ししたり、指図したりしないでください。私の自由にさせてください。そのうえで、一緒に行かせてください」
クリスチャン「私の申し上げたことを、私たちと同じように行うのでなければ、もう一歩も一緒には行きません」
すると下心は言った。
「私は昔からの主義を決して捨てません。害がないうえに、得になるのですから。一緒に行けないのなら、あなたがたに追いつかれる前と同じようにするまでです。つまり、一人で行きます。そのうち、私の連れになるのを喜ぶ人が追いついてくるでしょう」
私が夢の中で見ていると、クリスチャンと希望は下心と別れ、先に立って距離をあけて進んだ。けれども、二人のうちの一人が振り返ると、三人の男が下心のあとからついて来るのが見えた。三人が追いつくと、下心はたいへん低くお辞儀をした。三人もまた挨拶を返した。男たちの名は、〈この世大事〉、〈金好き〉、〈ため込み〉といった。下心とは昔からの知り合いだった。子供のころの学校仲間で、〈握り屋〉という先生に教わったのである。握り屋は、北の〈むさぼり〉州にある〈もうけ好き〉という市場町の教師だった。この先生は、手に入れる術を教えた。暴力、ぺてん、へつらい、うそ、あるいは信仰の見せかけを使って手に入れるのである。この四人の紳士は、先生の術を大いに身につけていた。だから、四人はそれぞれ自分でも同じような学校を開けるほどだった。
さて、こうして互いに挨拶を済ませると、金好きが下心に言った。
「前を行くあの人たちは誰ですか」
クリスチャンと希望が、まだ見えるところにいたのである。
下心「遠い国から来た二人連れです。あの人たちなりのやり方で、巡礼に出ているのです」
金好き「それは残念! なぜ待っていてくれなかったのでしょう。そうすれば、よい道連れになれたでしょうに。あの人たちも私たちも、そしてきっとあなたも、皆巡礼に出ているのですから」
下心「たしかにそうです。けれども、前を行く二人はひどく頑固なのです。自分たちの考えばかり大事にして、ほかの人の意見を軽んじます。どんなに信心深い人でも、何から何まで二人と考えが合わなければ、すっかり仲間から締め出してしまうのです」
ため込み「それはいけませんな。けれども、聖書にも義に過ぎる人のことが出てきます。そういう人は頑固さのあまり、自分たち以外のすべての人を裁いて罪に定めてしまうのです。ところで、あなたがたが意見を異にしたのは、どんな点で、いくつあったのですか」
下心「それがですね、あの二人は強情にもこう決めてかかっているのです。どんな天気でも旅を急いで進むのが自分たちの務めだ、と。でも私は、風や潮を待とうという考えです。あの二人は、神のためなら一度にすべてを賭けようとします。でも私は、あらゆる好機をとらえて、自分のいのちと財産を守ろうとします。あの二人は、ほかの人が皆反対しても、自分たちの考えを曲げません。でも私は、時勢と自分の安全が許す範囲でだけ、信仰を持とうとします。あの二人は、信仰がぼろをまとってさげすまれているときに味方します。でも私は、信仰が金の靴をはき、日の光を浴び、拍手を受けて歩くときに味方するのです」
この世大事「そうとも、下心さん、その考えを守り通しなさい。わしに言わせれば、持っているものを守る自由がありながら、愚かにもそれを失うような者は、ばか者でしかない。へびのように賢くあろうではないか。『日の照るうちに干し草を作れ』と言うだろう。ほれ、蜂は冬のあいだじっとしていて、楽しみと得の両方があるときにだけ動き出す。神は雨を降らせることもあれば、日を照らすこともある。あの連中が愚かにも雨の中を進むというなら、それもよかろう。わしらは晴れた日を選んで進めばよいのだ。わしとしては、神のよい祝福をしっかり守れる信仰がいちばん好きだ。神はこの世のよいものを、わしらに授けてくださった。それなら、神のためにそれを手放さずにおけと望んでおられるに決まっている。理性に従う者なら、誰でもそう考えるはずだ。アブラハムもソロモンも、信仰を持ちながら富んだ。ヨブも、善い人は金をちりのように積み上げると言っている。ただし、その善い人が、前を行く連中のような者であってはならん。あんたの言うとおりの連中ならな」
ため込み「この件については、私たちは皆同じ考えのようですな。ですから、これ以上言うことはありません」
金好き「ええ、この件についてはもう言うことはありませんね。聖書も理性も信じない者は、自分の自由もわきまえず、自分の安全も求めないのです。ご覧のとおり、聖書も理性も私たちの側についていますからね」
下心「兄弟方、ご覧のとおり、私たちは皆巡礼に出ています。そこで、悪いことに心を向けずにすむように、一つ問題を出させてください。たとえば、ある人がいるとします。牧師でも商人でもかまいません。その人の前に、この世のよい祝福を得る好機が転がっているとします。ただし、それを得るには、ある方法をとるしかありません。以前は関わりもしなかった信仰上のいくつかの点について、少なくとも見かけの上で、並外れて熱心になることです。この人はその手段を使って目的を果たしても、なお正真正銘の正直者でいられるでしょうか」
金好き「ご質問の底にあるものはわかります。こちらの紳士方のお許しをいただいて、お答えしてみましょう。まず、牧師自身にかかわる問いとしてお答えします。ある牧師がいるとします。立派な人ですが、ごく小さな聖職禄しか持っていません。そして、もっと大きくて、はるかに実入りのよい禄に目をつけています。今まさにそれを得る好機もあります。ただし、そのためには、もっと勉強し、もっとたびたび熱心に説教しなければなりません。また、会衆の気質がそれを求めるので、自分の主義のいくつかを変えなければなりません。私に言わせれば、そうしてはいけない理由など見当たりません。召しを受けているならば、です。いや、それどころか、ほかにもいろいろ手を尽くしたってかまいません。それでも、その人は正直者でいられます。その理由は次のとおりです」
「第一に、より大きな禄を望むことは正当なことです。これに反論の余地はありません。神の摂理によって目の前に置かれたのですから。ですから、得られるものなら得てよいのです。いちいち良心に問うことはいりません」
「第二に、その禄を望む心があるので、彼はもっと勉強するようになり、もっと熱心に説教するようになります。こうして、彼はよりよい人間になるのです。そうです、自分の才能をいっそう磨くようになります。それは神のみこころにかなうことです」
「第三に、会衆の気質に合わせることについてです。会衆に仕えるために、自分の主義のいくつかを捨てるのですから、これは次のことを示しています。一つ、彼が自分を捨てる気質の持ち主であること。二つ、人当たりがよく、人を引きつけるふるまいができること。三つ、それゆえ牧師の務めにいっそうふさわしいこと」
「第四に、結論を申しますと、小さな禄を大きな禄に替える牧師は、そうしたからといって貪欲だと裁かれるべきではありません。むしろ、それによって才能も勤勉さも磨かれるのですから、召しに従う人と見なされるべきです。善を行うために与えられた好機を生かす人なのです」
「さて、問いの第二の部分、お話に出た商人についてです。その人がこの世でごく貧しい仕事しか持っていないとします。けれども、信心深くなれば、商売の具合がよくなるかもしれません。金持ちの妻をもらえるかもしれませんし、店にもっと多くの、もっとよい客がつくかもしれません。私に言わせれば、これを正当に行っていけない理由はありません。その理由は次のとおりです」
「第一に、信心深くなることは徳です。どんな手段で信心深くなろうとも、です」
「第二に、金持ちの妻をもらうことも、私の店の客を増やすことも、不正ではありません」
「第三に、信心深くなることでこれらを得る人は、自分が善い者になることで、善い人々から善いものを得るのです。つまり、善い妻と、善い客と、善いもうけが得られます。しかも、どれも信心深くなるという善いことによってです。ですから、これらすべてを得るために信心深くなるのは、善い、得になる計画なのです」
下心の問いに対する金好きのこの答えは、皆から大いにほめそやされた。そこで彼らは、全体として、これはまことに健全で有益な答えだと結論した。誰もこれに反論できないと思った。しかも、クリスチャンと希望はまだ声の届くところにいた。そこで彼らは、二人に追いついたらすぐ、この問いで攻めてやろうと申し合わせた。二人が先ほど下心に逆らったのだから、なおさらである。そこで彼らは二人に呼びかけた。二人は立ち止まり、彼らが来るまで待っていた。彼らは歩きながら、下心ではなく、老人のこの世大事に問いを出させようと決めた。少し前の別れぎわ、下心と二人のあいだには激しい言い合いがあった。この世大事が相手なら、二人の答えにそのほとぼりは残らないだろうと考えたのである。
こうして彼らは互いに近づいた。短い挨拶のあと、この世大事はクリスチャンとその連れに問いを出した。そして、答えられるものなら答えてみよ、と言った。
するとクリスチャンは言った。
「信仰の赤ん坊でも、そんな問いには一万でも答えられます。ヨハネによる福音書の六章にあるとおり、パンのためにキリストに従うのは正しくありません。それなら、キリストと信仰を隠れみのにして、この世を手に入れて楽しむのは、どれほど忌まわしいことでしょう! こんな考えを持っているのは、異邦人、偽善者、悪魔、魔術師のほかにはありません」
「第一に、異邦人です。ハモルとシケムは、ヤコブの娘と家畜を欲しがりました。けれども、割礼を受けるほかに、それらを手に入れる道はないとわかりました。そこで仲間たちに言ったのです。『彼らが割礼を受けているように、もしわれわれのうちの男子が皆、割礼を受けるなら、彼らの家畜と財産とすべての獣とは、われわれのものとなるではないか』。彼らが手に入れようとしたのは、娘と家畜でした。そして、それを手に入れるために信仰を隠れみのにしたのです。その話をすべて読んでごらんなさい(創世記三四・二〇〜二三)」
「第二に、偽善者のパリサイ人も、この信仰の持ち主でした。長い祈りは見せかけで、やもめたちの家を食い倒すのがねらいでした。そして神から、もっときびしいさばきを受けました(ルカ二〇・四六〜四七)」
「第三に、悪魔であるユダも、この信仰の持ち主でした。財布のために信心深くなり、その中身を自分のものにしようとしました。けれども、彼は滅び、捨てられました。まさに滅びの子となったのです」
「第四に、魔術師シモンもこの信仰の持ち主でした。聖霊を受けて、それで金をもうけようとしたのです。そして、ペテロの口から、それにふさわしい宣告を受けました(使徒八・一九〜二二)」
「第五に、私はこう思わずにいられません。この世のために信仰を手に取る者は、この世のために信仰を投げ捨てるでしょう。ユダが信心深くなったとき、この世を目当てにしていたのは確かです。それと同じく確かに、ユダは同じこの世のために、信仰と自分の主を売りました。ですから、あなたがたのように、この問いにそうしてよいと答えるのも、その答えを正しいと認めるのも、異邦人のすること、偽善者のすること、悪魔のすることです。あなたがたは、自分の行いに応じて報いを受けるでしょう」
すると彼らは互いに顔を見合わせて立ちつくした。クリスチャンに返す言葉がなかったのである。希望もクリスチャンの答えが正しいことを認めた。こうして、一同はすっかり黙りこんでしまった。下心とその仲間たちはたじろいで、あとに下がった。クリスチャンと希望に先に行かせるためである。そこでクリスチャンは連れに言った。
「この人たちは、人の宣告にさえ立ち向かえないのです。それなら、神の宣告にはどうするでしょうか。土の器に責められて黙ってしまうのなら、焼きつくす火の炎にとがめられるときには、どうするでしょうか」