第七章 働きの証
この町で神癒に関わる働きがどのように始まったのか、また私が知っている癒しの事例のいくつかについて、少し付け加えたいと思います。
前の章ですでにお話ししたように、私が自分の癒しに関して主に立てた誓約の一つは、この真理とその体験を、主が求め導かれるとおりに、人々のために用いるということでした。
それは私にとって小さなことではありませんでした。私には保守的な世間体や、教会での評判へのこだわりがたくさんあり、それに死ななければならなかったからです。この事柄にどこまでも忠実であろうとすれば、どれほどの犠牲を払うことになるかは直感的にわかっていました。同時に、ほかの誰かと一緒に癒しを求めて祈らなければならないと考えるだけで、言いようもなく尻込みしました。実現しないかもしれないことを自分のものとして求めて、神の御名をはずかしめることになるのを非常に恐れていたのです。この事柄で自分が直接奉仕しなくても済むようにと、半ば願っていました。神がすでにこの働きのためにほかの兄弟たちを起こしておられることを心から喜び、その人たちの手を喜んで強めようと思っていました。
この真理について私がこの町で初めて公に証をしたのは、私の教会の人々への説教の中でした。当時の私の教会はニューヨークの長老派教会でしたが、反対はほとんど、あるいはまったく起きませんでした。数週間後、私はフルトン街祈祷会の記念集会で話すよう頼まれました。ガーフィールド大統領の葬儀の日でした。主は私が率直に話すよう導かれ、私は、主イエスの御名によって直接に病人の癒しを祈るという、聖書の正しい祈りの方法に触れました。話し終えたとき、私に応えてくれたのはひとりだけでした。メソジスト監督教会の年老いた立派な長老司で、この方はその後天に召されました。彼は私に心から感謝し、あなたの言ったことを一言残らず信じますと言ってくれました。
まもなく、私の家庭にテストが来ました。幼い娘が突然ジフテリアにかかり、重い病状になりました。娘の母親である妻は、当時は私のようにはまったく信じておらず、医者を呼ぶよう強く求めました。私がただ娘を神のもとに連れて行き、主イエスの御名によって癒しを自分のものとして求めたので、妻はひどく心を痛めました。その夜、幼い病人は、のどが雪のように白くなり、ひどい熱に苦しみながら、私のそばに横たわっていました。付き添っていたのは私ひとりでした。もし翌日まで病気が続けば、家庭に危機が訪れ、私が責任を問われることはわかっていました。愛する主もそれをご存知でした。私は震える手で娘の額に油を塗りました。私が油を塗ったのは、これが一人目か二人目でした。そしてイエスの御名の力を自分のものとして求めました。真夜中ごろ、私の心は深い重荷を負いました。私は速やかな救いを神に叫び求めました。朝になると、娘ののどは治っていました。妻が病気の娘を見に来て、潰瘍が消え、娘が起きて遊びに行こうとしているのを見たとき、私に向けたまなざしを私は決して忘れないでしょう。その時から、家で医者を呼ぶよう求められたことは二度とありません。そして神は子供たちを不思議に守ってくださいました。子供たちは病気をほとんど知らずに育ちました。病気が来ても、そのたびに主ご自身が取り去ってくださいました。ただ、何かの教訓を学ぶべきときは別でした。そのときも、真の悔い改めの場に立つと、必ず回復と救いがもたらされました。
そのころ、主は私を導いて、それ以来生涯を捧げてきた特別な信仰の働きを始めさせてくださいました。それは決して神癒を教えるためではなく、公開の伝道集会や無料の集会によって、顧みられずにいる大衆に福音を宣べ伝えるためでした。数年間、これらの集会では、からだの癒しについて一言も語られませんでした。私たちの最大の目的は人々をキリストに導くことであって、脇道の問題で人々に先入観を与えたくなかったのです。けれども、私自身の癒しと娘の癒しについての事実が、私の小さな群れの中にひそかに広まりました。一人、また一人と、私のところにそのことを尋ねに来て、自分たちも癒されないものかと聞くのでした。私は、私がしたように信じるなら癒されますと答え、家に帰って自分で神のことばを読み、よく考えて祈るよう勧めました。その最初の人は親しい姉妹で、当時キリスト教の働きで広く知られていた人でした。この方はのちに私たちのホームの執事になりました。二十年間、心臓病に苦しんできた人でした。一ヶ月ほどかけてこの事柄をよく考え、それから落ち着いた、きっぱりとした態度で、自分の病を神の前に差し出してもらいに来ました。彼女はたちまち癒され、その後数年間たゆまず働き、疲れというものをほとんど知りませんでした。やがて彼女は働きを終え、大きな平安と祝福の中で眠りにつきました。そのうちに、一人、また一人と、このことを尋ねに来る人が増えました。そしてついに、金曜集会が生まれました。この特別な主題に関心のある人が誰でも、決まった時と場所に集まって教えを受け、互いの証によって力づけ合えるようにするためです。この集会は今では、あらゆる福音派の教会や多くのさまざまな家庭から数百人が集まるまでに成長しました。
この数年のあいだに私が見てきた癒しの事例は、何冊もの本を満たすほどです。それは社会のあらゆる階層、あらゆる宗教的見解、あらゆる職業や仕事、あらゆる種類の病気に及んでいます。スピリチュアリズムの信奉者が来たこともあります。サタンに仕えてついに心身を壊し、苦しみからの救いを求めて来たのです。しかし、この恐るべきわなを完全に捨てないかぎり、そのような人と一緒に祈ってよいとさえ思えたことは一度もありません。このわながもたらす害悪について、悲しく恥ずべき打ち明け話を聞いたこともあります。ローマ・カトリックの人が、何か迷信的な儀式を受けに来るかのように来たこともあります。そういう人も、忍耐強く教えを受けて真の救い主に導かれ、癒されるのを見たことがあります。自分や愛する人が祈りによって治るなら大金を出すと申し出た人もいました。しかし私は、そういう人にあえて手を出そうとはしませんでした。ただ、まっすぐキリストのもとに行かせ、こう告げるだけでした。キリストの足もとで真に悔い改め、信頼するときにだけ、救いを期待できるのです、と。哀れな罪人が癒しを求めて来て、救いを見いだして帰って行ったこともあります。病気から逃れたいという願いがきっかけでキリストに導かれた人は大勢います。私は、相手がまずイエスを救い主として受け入れるまでは、その人の癒しを求めることはできないと感じてきました。けれども、魂が救われ、からだが癒されるのを同じ時に見たことも何度かあります。私は誰にも私を癒し手として仰ぐことを許しませんでした。その人が私自身や私の祈りに少しでも頼っているあいだは、その人のために祈ってよいと思えませんでした。キリストの功績と約束と執り成しのほかに、何かに頼っているあいだも同じです。
私のいちばん大切な仕事は、たいてい、私自身と私の影を人々の前からどけて、イエスを人々の目にはっきり見えるようにすることでした。ごくつつましい、読み書きもろくにできないクリスチャンが、突然、栄光に満ちて癒され、驚くほどの信仰に満たされるのを見てきました。一方で、優れた知性の持ち主や大きな名声のあるクリスチャンが、主の衣のふさにさえ触れられないのも見てきました。たいていの場合、彼らはそうするほど低くなることができなかったのです。あるとき、優秀な医師が集会で立ち上がり、このことについて学識豊かな演説をしました。そしてその隣で、ひとりのつつましい娘が癒されるのを見ました。初めて会ったとき、この考えを理解する力もないように見えた娘でしたが、最も重い段階の肺結核から癒され、短かった脚が一瞬のうちに五センチ伸びたのです。キリストのこの祝福された賜物が、多くの貧しい人々の家に安らぎと言いようのない祝福をもたらすのを、私は見てきました。疲れ果てて働く女性たちから、エジプトの鉄の炉のような束縛を取り去るのも見てきました。また、洗練された人、教養ある人、裕福な人の多くの家庭にもそれが入っていくのを見てきました。その人たちは恥じることなく良い告白をし、完全な救い主であるキリストについて立派な証をしました。神学者が神癒をこのうえなく論理的に攻撃したあとで、自分の教会の人が癒されるのを、私はたびたび見てきました。それは、彼が反論も説明もできない形での答えでした。ときには、こうして癒された素朴な人のひとりを、大口をたたく不信仰者のところに連れて行き、彼女自身の素朴な話をしてもらったこともあります。すると彼は圧倒され、黙り込み、時には深く心を動かされて帰って行きました。この町で最も優秀な弁護士の一人が、ごく最近、私に語ってくれました。私たちの良き友人ジョン・エルシーが癒され、その後献身の生活を送っているのを見て、キリスト教が真理であることを完全に確信したというのです。世俗の女性たちが深い罪の自覚に打ちひしがれ、金曜集会のありのままの素朴な証によって、深く真実な信仰生活を求めるようになったことも、たびたびありました。多くの愛する牧師たちが、魂とからだのために主イエスをその満ちあふれる豊かさのままに受け入れるのを見てきました。この町で最も献身的で著名なキリストのしもべの中にも、主を自分の癒し主として認めることを誇りとしている人々がいます。けれども私は、教会の拘束衣こそが何よりもきつい足かせであり、保守派や教会の意見への恐れこそが何よりも容赦のない束縛であることにも気づきました。最高の地位にある愛する医師の中にも、イエスを自分の癒し主として受け入れ、患者の準備ができていれば、喜んで主の手にゆだねるよう導いている人が少なくありません。そうした医師の何人かは私たちの金曜集会で見かけますし、ほかの町にも大勢います。最も献身的なクリスチャンの働き人や都市宣教師の多くが、この尊い真理を見いだしました。中には、自分の教会や団体で偏見と反対という苦い試練に直面しなければならなかった人もいます。しかし、彼らが賢明で、真実で、忠実であったところでは、神は最後には彼らの正しさを明らかにしてくださいました。さまざまな教会の中で最も霊的な思いを持つ男女が、たいていこの真理を見て受け入れるよう導かれることに、私は気づきました。キリストが魂の中に内住される人格的な現実となられると、その方をからだから締め出しておくのは難しいのです。医療行為の問題を扱うことについて、私は深刻な実際上の困難を感じたことはありません。医療行為に何らかの価値を置いている人や、医療行為をやめるよう主にはっきり導かれていない人に、それをやめるよう勧めたことは一度もありません。キリストへの本当の信仰なしに医療行為をやめても無益です。そして、本当に自分の病をキリストにゆだね、キリストが引き受けてくださったと信じる人は、ふつう、ほかの手に触れてほしいとは思いません。ほかに何かが必要だとも思わないのです。キリストの超自然的な助けを本当に信じている人は、医療行為を求めません。そしてこの信仰がない人に対して、得られるかぎり最善の助けを受けることを妨げようとしたことは一度もありません。私は、誰かに神癒を受け入れるよう強く勧めるよう召されていると感じたことはありません。真理を示して、神に導いていただくほうがよいとわかりました。十分に確信していないならやってみないようにと、強く勧めたこともたびたびあります。するとかえって、その人はいっそう強く駆り立てられ、本当の信仰を持っていることが示されました。私は、神癒を福音そのものとみなすべきだと感じたことはありません。それは福音の一部ですが、私たちは人々の魂の救いと聖化のために、はるかに熱心に働いています。センセーショナルな話題を好む世俗の新聞は、この教理を私たちの一部が特に入れ込んでいる道楽のように描こうとしてきました。しかし実際には、このための集会は週に一回だけで、霊的な教えと祝福のための集会は七回あります。
癒しの事例はまことにさまざまです。初期のころの最も驚くべき事例の一つは、八年間関節を曲げたことのない女性でした。私たちの集会では松葉杖をついて立ったままで、礼拝のあいだ一度も座ることができませんでした。八年間座ったことがなかったのです。彼女は一瞬のうちに、羽根で触れられたかのように癒され、その場にいた全員が驚嘆しました。脊椎湾曲症が治った人もいます。非常に多くの人が線維腫から解放され、悪性で不治のがんから救われた人も少しいます。外科の助けなしに骨折が治った例も二つあります。最も重い心臓病の例も多く、肺結核の例もいくつかあり、ヘルニアの絶望的な例もいくつかあります。もしキリストが支えてくださらなかったら、彼らのように歩き出すことは死を意味したでしょう。麻痺と脳軟化、てんかんと舞踏病も、はっきりと治りました。危険な精神錯乱の例もいくつか、信仰の祈りによって回復しました。このような事例の数は数千に達するでしょう。そのいくつかでも詳しく述べることは不可能です。私たちにとって何よりの喜びは、こうして滅びから贖い出され、神の働きと人々の必要のために捧げられた生涯に、まことに祝福された栄光ある実が結ばれていることです。そうした愛する人々のひとりは、数百人がキリストに導かれている伝道所を任されています。ほかのひとりは、病気のために宣教団体から派遣を断られましたが、主によって癒され、今は再び夫と共にインドにいて、異教徒にキリストを宣べ伝えています。日本にいる人も、アフリカにいる人も、南アメリカにいる人も、イギリスにいる人もいます。この町の大通りや路地で、またこの国で最も熱心な働きに携わっている人も大勢います。彼らが受けた祝福と、彼ら自身が人々にとっての祝福となったことを、神に感謝します。
この数年間、神は私たちのホームを開いてくださり、その中で何百人もの神の愛する子供たちに会い、彼らが力と祝福のうちに出て行くのを見させてくださいました。ほかにもホームがこの国とほかの国々に散らばっています。そしてすでに、この国とほかの国々の大勢の群衆が手を取り合い、ともに歌いながら家路をたどっています。
「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる」(詩篇一〇三・一〜五)。