A・B・シンプソン『神癒の福音』

第六章 個人的な証

この六年間、主が私自身の人生にも家族にもまた私の働きの中でも癒しを経験させてくださったことに感謝していますが、この小品を終えるにあたって個人的な証を手短にお話しするのは場違いではないでしょう。

私が神癒について知っている全知識とここまでに書いてきた内容はすべて、私自身の人生を通じて学んだことで、主ご自身が教えてくださらなければわからないことでした。この主題について、私は主のみことば以外のものを読むことを許されませんでした。ほかのものを読んだのは、自分で主を信頼することを学び、それどころかこの小品の多くを書き上げてから、ずっと後のことです。

私は二十年間以上もいろいろな肉体的苦痛や病気に苦しんできました。十四歳で激しい勉学の生活を始めた私は、大学進学の準備をしているときに神経衰弱を起こし、すっかり倒れてしまいました。何ヶ月ものあいだ、医者には本を見ることさえ禁止されました。この時には死の寸前まで行き、永遠の淵に立って、私はついに自分を神に捧げました。大学を卒業してから、二十一歳で一念発起して大きな町の教会の牧師になりました。この時も仕事に没頭しすぎて、一年たらずで心臓病で倒れました。何ヶ月も休養のために離れなければならず、ようやく戻ってきたときには、当時の私には死ぬために帰ってきたように思えました。けれども、少しずつ回復し持ち直してきました。その後数年間は、薬を常に持ち歩いて予防を心がけながら仕事をしました。いつもポケットにアンモニアのびんを入れていました。びんを持たなければ不安で発作を起こしたにちがいありません。なだらかな坂道や階段を登るときにも窒息しそうなつらい息切れをたびたび起こしましたが、最後の手段にびんがあると考えることで落ち着くのでした。ヨーロッパにいた頃、スイスのリギ山の頂上まで思い切って鉄道で登ったときのことをよく覚えています。フローレンス市内の高い鐘塔に登ろうとしたのですが、途中で急に発作が起きて窒息しそうになりました。二度とこういう危険な場所には行かないと心に決めました。神がご存知ですが、働き始めた頃の私には何百回とこういうことがありました。壇上で説教していると礼拝の最中に倒れそうになるし、墓地で奉仕をしていると開いた墓に落ちそうになったものです。

それから数年後、さらに二回、健康を崩して倒れました。どちらも長く続きました。この恐ろしい時期には、いのちの最後の水滴が流れ出ていくように思えたことが何度もありました。か細い糸一本が、生命の綱が永遠に切れてしまうのをかろうじて引き留めているかのようでした。

たいていは懸命に働いて仕事をやり通していたので、周りからは真面目で立派な働き者と思われていましたが、いつも「デリケートな人」と気にかけてもらっていて、会う人ごとに同情されていたので、すっかり嫌気がさしていました。私が訪問をおろそかにしても、善良な信徒たちは、私が「体が強くない」からと、何度も代わりに言い訳をしてくれました。紆余曲折のすえに、主を私の癒し主として受け入れたときのことを覚えています。いつもそんなふうに同情されるのに疲れ切っていた私は、この体を治してくださいと主にお願いしました。私に関わる人たちがもう二度と私をあわれまずに済むように、そればかりか、神の強さと支えによって、私が彼らにとって絶えず驚きの的となるようにと祈りました。主はこの祈りを聞いてくださったと思います。周りの人たちはその後六、七年にわたって現在まで、私が主の御名によって働くことが許されていることにしばしば驚いているからです。

それまでは安息日礼拝が終わると水曜日までは疲労困憊で動けず、木曜日ごろから次回の礼拝の用意をし始めるのが普通でした。神に感謝します。癒されてからの三年間、私は千回以上説教をし、時には週に二十回以上集会を開くこともありましたが、一度も疲労困憊した記憶がありません。

キリストを私の癒し主として受け入れるより数ヶ月前のことですが、ニューヨークの著名な医師が私の健康を診断してくれました。医師によると、私は体質的に弱く、余命数ヶ月しか残されていないとのことでした。いのちと働きを保つために、ただちに処置を講ずるよう求められました。その夏、私はサラトガ・スプリングズに行きました。そこである安息日の午後に、ふらふらとインディアンキャンプ場におもむくと、そこで宣教集会が開かれていて、黒人霊歌の合唱隊が歌を導いていました。そのときの私は深く落胆していて、人生が真っ暗で枯れ果ててしまったように感じられました。歩いていると突然、コーラスが耳に飛び込んできました。

私のイエスは主の主誰もこの方のような御業はできない

コーラスは何度も何度も繰り返されました。低音と高音が調和していて、天に届きそうな歌声でした。

誰もこの方のような御業はできない誰もこの方のような御業はできない

それは魔法のように私をとらえました。心が釘付けになりました。天から声が聞こえているようでした。その声が私のすべてを捉えました。私はイエスを主の主として、私のために御業を行なってくださる方として受け入れました。それがどういう意味なのか、まだよくわかっていませんでしたが、暗闇の中でキリストを必死につかみました。その上品とは言えない流行遅れの集会から出てきたとき、ほかのことは何も覚えていませんでした。ただ、不思議なことに、それ以来ずっと私の心は引き上げられたのです。

数週間後、家族を連れてメイン州のオールドオーチャードビーチに行きました。おもな目的は、あらゆる海辺の中でもとびきり美しいそのビーチの、素晴らしい空気を満喫することでした。滞在中は海岸のすぐそばで過ごし、ときたまキャンプ場の集会に顔を出しましたが、集会に加わったのはほんの一度か二度だけでした。そのときまで、神癒の真理や体験に本当の意味で自分をゆだねたことはありませんでした。

とはいえ何年も関心だけは持ち続けていました。その数年前、私は主に献身し、自分の内住の義としてこの方を受け入れました。そのころ、私が牧会する信徒のあいだでめざましい癒しが起きて、深く印象づけられました。呼ばれて訪問したお宅に、医者たちにみな見放された、死にかけている人がいました。何日も話さず食べずの状態だそうでした。麻痺と脳の軟化がきわめて重くなった症例でした。のちの彼の回復はあまりにも驚くべきものと見なされたため、医学の顕著なケースのひとつとして医療雑誌に掲載されました。

彼の母親は熱心なクリスチャンでした。彼自身も幼少の時に回心していたのですが、この何年ものあいだ俳優をしていて、主から離れてしまっているのではないかと母親は恐れていました。私は祈ってくれるよう母親にお願いされました。そこで祈ると、こう祈るよう導かれました。病人の癒しではなく、彼が救われていることを母親に知らせられるだけのあいだ、彼が意識を取り戻しますように、と。私はひざまずいていた姿勢から立ち上がり、去ろうとしました。私たちがあまりにしばしばそうするように、早くも祈りを忘却の彼方に置こうとしていたのです。ちょうどそこへ数人の信徒が訪ねてきたので、信徒たちを母親に紹介するために数分引き留められました。

ちょうどそのときです。何の気なしにベッドに近づくと、若者が目を開いて話し始めるではありませんか。私は驚きを隠せませんでした。老いた母親は私よりも驚いていました。さらに尋ねてみると、彼がイエスに単純な信頼を持っていることが歴然とわかりました。恥ずかしいことに、私たちはみな驚きと喜びに圧倒されてしまいました。その時から彼は急速に回復し、何年も生存しました。のちに彼と会う機会がありましたが、あの癒しは神の力の奇跡だと思っている、と彼は言っていました。この事件の印象は心をとらえて離れませんでした。それからすぐに、私は主を自分の癒し主として受け入れてみることにしました。しばらく私が主に信頼しているあいだは、主は私を不思議な方法で保ってくださいました。が、時間が経つと、何の教えも受けておらず、敬虔なクリスチャン医師にそれは思い上がりだと忠告されたので、私はただ神おひとりに信頼するという単純な立場を放棄してしまい、何年もふらふらして自分の立ち位置がわからなくなりました。けれども、ときおり個々の癒しの事例を耳にすると、それを疑ったり、神がときにはそのように癒されることを疑問視したりすることは決してありませんでした。とはいえ自分自身に関しては、この真理は本当の意味で実際的な力も効力も持ちませんでした。といいますのも、必要が生じたときに自分を主にゆだねてよいという明確な根拠が自分にあるとは、どうしても感じられなかったからです。

しかし、先ほどお話しした夏に戻りますが、キリストのことばに単純に信頼することによって癒されたという証を大勢から聞きました。救いのときと同じように、体の癒しに関してもそうだという証でした。それが私を聖書に向かわせました。じっさいのところはどうなのかを自分で確かめようと決心しました。あのとき人間に向かわなくてよかったと思います。

主の足元で、ひとりで、聖書を開き、人の助けや導きなしで探求していくうちに、ついに、神癒が罪と苦しみの世のためのキリストの栄光の福音の一部であり、キリストのことばを信じ受け入れるすべての人のために、祝福された十字架によって買い取られたものであることを確信しました。それで十分でした。これを信じておきながら、自分のために受け取ることを拒むことはできませんでした。神のことばの中にある真理を机上の空論のままでとどめておくことも、個人的に自分で証明していないことを他人に教えることも、私にはとてもできないと感じたからです。

ある金曜日の午後三時のことです。ひとりで静かな松林の中に分け入り、その場所をはっきりと覚えているのですが、そこで右手を天に向かって上げ、裁きの日を前にして、まるで目の前に神を見て顔と顔を合わせているかのように、次の三つの重大な永遠の誓約を神に捧げました。

一、かの日にあなたにお会いする者として、この真理をあなたのことばの一部分として、またキリストの福音の一部分として厳粛に受け入れます。神の助けによって、かの場所であなたに見えるまで私は決してこれを疑いません。

二、かの日にあなたにお会いする者として、私は主イエスを自分の肉体のいのちとして、私の生涯の仕事が完了するまでの肉体のあらゆる必要のために受け入れます。神の助けによって、私は決して疑いません。主がこの瞬間から確かに私のいのちと力となってくださることを。そして主の祝福された来臨の時まで、また私に関する主のみこころが完全になされるまで、あらゆる状況のもとで私を保っていてくださることを。

三、かの日にあなたにお会いする者として、私はこの祝福を神の栄光のために用い、人のために用いることに厳粛に同意いたします。今後、神が私を召し出し、人が私を必要とするどんな方法ででも、それについて話し、それに関する奉仕をすることに同意いたします。

私は立ち上がりました。ほんの数分のことでしたが、何かがなされたことを私は知っていました。魂のすみずみに至るまで神の臨在を感じていました。肉体が良くなった感じがしたかどうかはわかりません。気にもしませんでしたし、感じたいとも思いませんでした。ただ単純に信じること、そしてこれからは肉体に関することが神の御手の中にあると知ることが、あまりにも栄光に満ちていたのです。

その後、信仰のテストがきました。その場所を立ち去る直前に、最初の試みがありました。こういうささやき声が聞こえました。「今あなたは神を癒し主として受け入れると決めたのだから、カリス博士のコテージを訪ねて行って、一緒に祈ってもらってはどうか」。私は何気なしにそれを聞いていて、気に留めていませんでした。次の瞬間、頭が強く打たれたように感じました。あまりに突然のことで数秒間頭の中が真っ白になりました。私はよろめき、叫びました。「主よ、私は何をしてしまったのでしょうか」。何か大きな危険の中にいるような気がしました。その瞬間、ある思いがすばやく頭に入ってきました。「誓約をする前ならそれもよかっただろう。だが、お前はたった今この問題に永遠の決着をつけたのだ。それがなされたことを決して疑わないと神に告げたではないか」。

それは稲妻のようにひらめきました。その瞬間、私は信仰の意味を悟りました。そして、神との約束を一歩も譲らず、寸分たがわず守り通すことが、どれほど厳粛で恐ろしいことであるかを悟りました。頭を打たれたようなあのときの衝撃を、私はたびたび神に感謝してきました。神との間で何かが決着したなら、それは決してくつがえしてはならないということを理解しました。いったんなされたなら、それを取り消したり、やり直したりしてはなりません。そうすることは、すでになされた委ねが最終のものであることを疑うことになるからです。

のちに神は私を信仰の働きへと召してくださいましたが、その初めのころ、私を助けたのは神の臨在や約束がもたらす喜びや恍惚だけではありませんでした。神を疑うことへの聖なる恐れも、それと同じくらい私を助けたと思います。聖書の中で、次の短いみことばがしばしば生きた火のように輝いていました。「もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」(ヘブル一〇・三八)。敵が望んでいたのは、たった今済ませた取り決めが確かで完全なものであることに、わずかでも疑いを差し込むことでした。神はあわれみによって、私をそこから引き留めてくださいました。

翌日、私はニューハンプシャーの山地へ向かいました。次のテストは、その次の安息日に来ました。癒しを自分のものとして受け取ってから、ちょうど二日後のことです。私は会衆派の教会で説教を頼まれました。聖霊が特別な証をするよう私に迫っておられるのを感じました。けれども私は、自分で選んだ立派な説教をしようとしました。聖霊についての説教で、それまでたびたび祝福されてきたものでした。しかし、それがその時のための聖霊のことばでなかったことは確かです。聖霊は、ご自分が私に示してこられたことを人々に話してほしかったのです。けれども私は型どおりに、体裁よくふるまおうとして、ひどい目にあいました。あごは鉛のかたまりのように重く、唇はほとんど動きませんでした。私はできるだけ早く説教を切り上げ、隣の野原に逃げ込みました。そこで主の前にひれ伏し、この重苦しさは何を意味するのかを教えてください、そして私を赦してください、と願いました。主はこの上なく恵み深く、そのとおりにしてくださいました。そして、主のために証をして主の栄光を現す機会を、もう一度与えてくださいました。その夜、泊まっていたホテルで集会があり、私はふたたび話すことを許されました。今度は、神がしてくださったことをはっきりと話しました。多くを語ったわけではありません。たどたどしいながらも忠実であろうとしました。最近、主イエスとその祝福された福音を、からだの癒し主として、より深く豊かに見るようになったこと。主を自分の癒し主として受け入れたこと。主が真実で、すべてに足りる方であると知っていること。それを人々に話しました。神が私に求められたのは、自分の感覚や体験の証ではなく、イエスとその真実さについての証でした。主はご自分に信頼するすべての人に、その祝福を余すところなく体験する前に証をするよう求めておられると確信しています。もし癒されたと感じるまで待っていたら、私は癒しを失っていたと思います。

それ以来、まさにこの点でつまずく人を何百人も見てきました。神は私を豊かに祝福してくださる前に、まず私をご自身とその癒しの契約とに捧げさせられたのです。ある親しい牧師の兄弟がいます。今では福音と神癒の福音のために大いに用いられている人です。彼はからだに神の力のすばらしい現れを受けたのに、自分の教会に帰ってもそのことを何も話さず、それが続くかどうか様子を見ていました。数週間すると、前よりも悪くなってしまいました。次に会ったとき、彼はこれ以上ないほど沈んだ顔をしていました。私が彼の誤りを指摘すると、彼はたちまちすべてを悟りました。家に帰ると、神がしてくださったことについて神に栄光を帰しました。まもなく彼の教会は恵みと癒しの祝福された働きの中心となり、その働きは遠く広く及びました。彼自身も、イエスの満ちあふれる豊かさを喜んでいました。

あの安息日の夜の証は、ほかの誰よりも私自身のためになったと確信しています。もしあの証をしないでいたら、私は今こうして『神癒の福音』を書いてはいなかったと思います。さて、その翌日、三つ目のテストが来ました。

近くに標高九百メートルほどの山があり、私はそこに登る小さな一行に加わらないかと誘われました。私はすぐにしりごみしました。私はいつも高い所への恐怖につきまとわれてきました。スイスとフローレンスで恐れおののき、二度とこんなことはするまいと決心したことも覚えていました。ふつうの階段でさえ私を疲れさせ、弱い心臓を苦しめることも知っていました。

そのとき、厳粛な、心を探るような思いがわいてきました。「もしお前が恐れて行かないとしたら、それは神がお前を癒してくださったと信じていないからだ。神を自分の力として受け入れたのなら、神が召されることを何であれ恐れる必要があるだろうか」。

私はそれが神の思いだと感じました。この場合、私の恐れは不信仰そのものだと感じました。そこで私は、神の力によって行きますと神に申し上げました。

ここでひとこと言っておきたいのですが、自分がどれほど強いかを見せるためだけに、あるいは本当の必要もないのに何かをすべきだと言うつもりはありません。神の子供たちが、頼まれたからというだけで、むやみに山に登ったり何マイルも歩いたりすることを神が望んでおられるとは思いません。けれどもこの場合、私はいつか一歩踏み出して、勝利を自分のものとして受け取る必要がありました。そして、これが神の定めた時と方法だったのです。どの人の経験にも、こういう場面はあるものです。神は一人ひとりを召し、それぞれに示してくださいます。そして私たちが恐れからしりごみしているときには、その恐れに打ち勝つためにまさに必要なことへと、神は私たちを召されることが多いのです。

こうして私はその山に登りました。初めは、最後の息まで使い果たしてしまいそうに思えました。昔の弱さも、肉体の恐れも、すべて感じました。自分の中には、以前より少しも多くの力がないこともわかりました。けれども、私の弱さと苦しみの向こう側に、もうひとつの臨在があることに気づきました。神の力が私に差し伸べられていました。私がそれを望み、受け取り、自分のものとし、しっかり握り、その中にとどまり続けるなら、その力は私のものでした。一方からは死の重みがのしかかってくるようでした。もう一方には無限のいのちがありました。私がしりごみするか進むか、恐れるか信頼するかによって、一方に押しつぶされ、あるいはもう一方に引き上げられました。私はその二つの間を歩いているようで、私が触れたほうが私をとらえました。狼と羊飼いが両側を歩いていましたが、祝福された羊飼いは、私が離れていくことを許されませんでした。私はさらに、さらに、さらに羊飼いの胸に近く身を寄せました。一歩ごとに力が増していくようでした。そして山頂に着いたとき、私は天の門にいるかのようでした。弱さと恐れの世界は、私の足もとに横たわっていました。神に感謝します。その時から、この胸には新しい心臓が宿っています。霊的な意味だけでなく、文字どおりの意味でもそうなのです。そしてキリストがその栄光あるいのちとなっておられます。

数週間後、私はこの町での働きに戻りました。神に深く感謝しつつ、何百人もの人を証人として、偽りなくこう言うことができます。この七年近く、夏の暑さの中でも冬の寒さの中でも、愛する主のために働くことを許されてきました。途中で中断することもなく、長い休養をとることも一度もなく、しかも慰めと力と喜びは増すばかりでした。生きることには張り合いがあり、働くことには爽快さがありました。子供時代のいちばん元気な日々にも知らなかったものです。主は、このテストをたいへん厳しいものとすることを許されました。癒されてから数ヶ月後、主は私を特別な牧会と伝道と文書の働きに召されました。それ以来、私の時間と力はこの働きに注がれてきましたが、正直に言って、それまでの人生のどの時期よりも四倍もの労力を要するものでした。この期間のほとんどにわたって、教会での伝道と牧会の働きがあり、毎週いくつもの説教をしてきました。それに加えて、次のような働きがありました。月刊誌の編集の全責任と、その執筆の多く。いくつかのトラクトと書籍の準備。出版事業全体の監督と、多くの通信への責任。ベラカ・ホームの管理。そこでは毎週多くの訪問者や相談者を迎え、いくつかの集会も開きます。宣教師訓練学校では、年に七ヶ月のあいだ毎日一つか二つの講義をしますが、これには最も入念で注意深い思索を要します。そして、各地での神の愛する子供たちとの多くの集会や大会。これらの働きの多くは夜にしなければなりませんでした。二十四時間のうち十二時間から十六時間、時には十八時間も働く、長く続く奮闘によってです。それでも私は、キリストの誉れと栄光のために、こう証を記しておきたいのです。それは絶えざる喜びであり、重荷や疲れを感じることはめったにありませんでした。以前のはるかに軽い仕事と比べても、あらゆる点でずっと、ずっと楽でした。けれども私は、自分の生まれつきの力を使っているのではないことを、いつも意識していました。肉体的には、以前より少しでも頑丈になったとは思いません。今している仕事を、自分の体力だけで一週間でもやろうとはとても思えません。息をするたびに、私は直接に超自然的な源から活力を引き出しているのだと強く意識しています。そしてその活力は、働きの求めと必要に歩調を合わせて与えられるのです。ですから、二倍働いた日の終わりには、しばしば二倍の活力を感じます。もう一度最初からやり直したい気分になり、それどころか、眠りさえもがこの喜ばしい奉仕の特権をそっと止めてしまうことを惜しく思うほどです。しかも、これは一時の興奮の発作で、あとで反動が来るというものではありません。翌日も同じようにすがすがしく迎えられるからです。こうしたことが七年近く続いてきました。それも、すり減った体と二十年にわたる苦しみのすぐあとにです。私はこのことに気づきました。今の私の仕事は以前より楽で、私の生命力をあまり消耗しないようです。今は働きの中で自分のいのちを使い果たしているのではなく、別の源から与えられる有り余る活力によって働いているように思えます。それはまさに「キリストのいのちが私の死ぬべき肉体に現れる」ことにほかならないと信じ、確信しています。主を私の力として受け入れてから、一、二度、あまりにも不思議なほど元気だったので、神が与えてくださった力そのものを喜び、それに頼り始めたことがあったと思います。するとたちまち、その力が尽きかけているのを感じました。そして主はすぐに、ご自身を私の絶えざる力として仰ぐように、すでに与えてくださった力にさえ頼らないように、私を強いられました。ほかにも多くの愛する友人たちが、この教訓を学ばざるをえなくなり、すっかり学ぶまで苦しんだのを見てきました。それは、霊的にだけでなく肉体的にも、絶えずキリストに頼る生活です。とりわけ覚えているのはある夜のことです。遠くの町から遅い時刻に帰ると、朝までに片づけなければならないらしい、何時間もかかる夜の仕事が机の上にありました。その時の私には、肉体的にそれをする力はないと感じられました。それを見ると、心臓も頭も震えるようでした。けれども私は神を仰ぎ、それが神の働きであり、それを今するのが神のみこころであると、すっかり確信しました。ペンを取ると、数時間で喜びのうちに終わりました。終わってみると、疲れ果てているどころか、朝起きたときよりもすがすがしく、落ち着いた神経で横になり、子供のように安らかに眠ることができました。

愛する主イエスのいのちが私のからだに分け与えられているのでなければ、これを説明するすべを私は知りません。私はこのような栄誉と特権にまったくふさわしくない者です。けれども、主は大いなるへりくだりによって、私たちのからだとご自身を結び合わせることを喜んでくださると信じています。そして、完全に人間であり実在する主のからだが、何らかの方法でその生命の要素を私たちの肉体の生命と分かち合い、主の生きた心臓と内に住まわれる御霊によって私たちを生かしてくださるのだと確信しています。サムソンの肉体の力が「主の霊」によるものであったこと、またパウロが、イエスのために絶えず死に渡されていながら、キリストのいのちそのものが自分のからだに現れていると言っていることから、私は多くを学んできました。「からだは……主のためであり、主はからだのためである」こと、「わたしたちのからだはキリストの肢体である」こと、そして「わたしたちは、キリストのからだの肢体」であり、その肉と骨の一部であることを、私は聖書に見いだします。議論を挑むつもりはありません。ただ、素朴でささやかな証をしているのです。私にとってそれはまったく現実のことであり、まったく不思議なことです。「主である」と私は知っています。同じ祝福された体験に入った兄弟たちを、私は大勢知っています。私はただ、この体験を捧げて、ますます主のために用いたいと願っています。それがどれほど聖なる、尊い預かりものであるかを感じています。そして、疲れ果て、打ちひしがれ、重荷を負いすぎた兄弟たちが、そのこの上ない喜びと、すべてに足りる力をただ味わうことができたらと切に願っています。

牧師である兄弟たちのために付け加えたいのですが、私はからだと同じように、知性と頭脳のためにも神の助けを見いだしました。書くことも話すことも多いので、私は自分のペンと舌をキリストに捧げ、キリストが所有して用いてくださるようにしました。するとキリストは私をよく助けてくださり、文筆の働きが苦労になったことは一度もありません。以前よりもはるかに速く考え、はるかに多くの仕事を、ずっと楽に成し遂げられるようにしてくださいました。それはまったく素朴でつつましい働きです。けれども、それがどんなものであれ、すべてキリストによるものです。そして、ただキリストのためであることを願っています。また、その素朴さにもかかわらず、それ以前の疲れ果てた年月の入念な準備と苦労のすべてよりも、主の子供たちを助け、主の御名をあがめるために用いられてきたと信じています。すべての誉れが主にありますように。