ジョン・バニヤン『天路歴程』

(九) 臆病と不信

さて、クリスチャンが山の頂上に着くと、順路の向こうから二人の男が道を逆走して駆け上がってきた。ひとりは〈臆病〉といい、もうひとりは〈不信〉といった。クリスチャンは二人に話しかけた。「どうなさったのですか。逆走しているようですが」。

臆病「私たちはシオンの都に行こうとして、〈困難〉の道を登りました。ところが、この先に進むとさらなる危険が待っていました。そこで私たちは引き返して、元の道を戻っているところです」

不信「そうなんです。目の前に二頭の獅子が現れました。眠っているのか起きているのかわかりませんでしたが、近づけばすぐさま食いちぎられるに違いありません」

クリスチャン「恐ろしいですね。でも、だからといって、どこに行けば安全なのでしょうか。私が自分の国に帰っても、火と硫黄が待っているので、きっと滅ぼされます。天の都に行けるなら、そこが安全に違いありません。そこに行く途中でたとえ危険があるとしても。後ろに戻れば確実に死にます。前方には死の恐れがありますが、それにまさる永遠のいのちがあります。だから私は先に進むつもりです」

不信と臆病は山を駆け下りたが、クリスチャンは道を続けた。だが、二人から聞いた話を思い出すと身震いがしたので、巻物を取ろうとしてふところに手を入れた。またあの巻物を読めば力を得られるはずだ。ところが、巻物は見つからなかった。彼はすっかりうろたえた。どうすればよいのか。取り戻さなくては、私に平安を与えてくれた巻物を。天の都で通行証になる巻物を。だが、彼はどうすればよいかわからず、途方に暮れた。

ふと、山の中腹にあった休憩所で眠ってしまったことを思い出した。そこで落としたに違いない。クリスチャンは自分の愚かな行為について神にゆるしを願った。すぐに巻物を探しに戻った。けれども、道を戻りながらクリスチャンの心がどんなに悲しみで痛んだか、誰にも想像できまい。彼はため息をついて泣いた。何度も自分を責めた。あの場所で少し休憩するだけのつもりで眠りこけてしまうとはなんて馬鹿なことをしたんだろう。こうして戻りながら、道のすみずみまで目をこらした。旅路で何度も慰めを与えてくれたあの巻物がもしかしたら見つかるかもしれないと思って。彼が眠りこけた小屋が遠くに見えてきたが、眠りこけた罪がますます思い出されて、いっそう強く胸が痛んだ(黙示録2:4、テサロニケ5:6-8)。自分の罪を嘆きながらこう言った。

「ああ、私は悪人だ、日中に寝てしまうとは! 困難のさなかに寝てしまうとは! 主が旅人の魂を休息させるために建てられた小屋で肉の安楽をむさぼるとは! どんなに時間を無駄にしたことか! これはイスラエルにも起きたことなのだ。彼らは紅海の道の途中で引き返すという罪を犯した。眠りこけた罪さえ犯さなければ私は喜びをもって行ったはずなのに、悲しみながら歩かなくてはならない。どんなに歩いたことだろうか! 一度だけ歩くはずだった道を三度も通らなければならないのだ。もう日が暮れて、闇が私を包んでいる。ああ、眠りこけさえしなければ!」