ジョン・バニヤン『天路歴程』

(八) 三つの道: 困難、危険、破滅

それからこういう次第だったと思う。彼らが道を歩き続けていると、山のふもとに出た。そこには泉があった。また、門から続くまっすぐな道の他に、山のふもとで二つの道が枝分かれしていた。ひとつは山を左に迂回し、もうひとつは右に迂回していた。けれども、真ん中の狭い道は、まっすぐに山の上へと伸びていた(この道の名前は〈困難〉といった)。クリスチャンは泉に近づき(イザヤ49:10)、水を飲んで力を得た。それから山を登り始めた。

「この山は高いけれど私は登りたい。
困難が打ち寄せても私は倒れない。
この道にいのちがあると知っているから。
心よ、勇敢であれ。おそれるな、ひるむな。
困難でも正しい道を行くのがよい。
簡単でも間違った道の行く先は苦しみだから」

偽善と形式主義も山のふもとに到着した。しかし、山を見上げると険しくそびえ立っていた。また、山を迂回する道が左右に伸びていた。二つの道も山の反対側でクリスチャンが行った道と合流するだろうと思った。二人は迂回路を通ることにした。道の名前は、一つは〈危険〉といい、もうひとつは〈破滅〉といった。ひとりは危険という道に進み、うっそうと茂る暗い森に入っていった。もうひとりは破滅という道に進み、広々とした場所に出たが、暗い山々がそこかしこにあった。彼は足を踏み外して落ちた。もう二度と登ってくることはなかった。

クリスチャンは山を登っていた。最初走っていたが、山が険しくなると歩くようになり、さらに険しくなると手とひざを使ってよじのぼった。山の中腹に着くと、ありがたいことに休憩所があった。疲れた旅人を休ませるために主が用意してくださったものだった。クリスチャンはそこに入り、座って休憩した。ふところから巻物を取り出し、読んで慰めを得た。また、十字架の近くで受け取った立派な外套をまじまじと見つめて、心に力を得た。こうして喜びに浸っていたが、そのうちにうとうとし始め、つい眠ってしまった。時間が経ち、日暮れになった。眠っているうちに巻物は手からすべり落ちていた。すると、誰かが眠っている彼のところに来て、ゆすり起こした。

『なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ』(箴言6:6)

クリスチャンは飛び起き、急いで出発した。山の頂上までもう速度を落とさなかった。