ジョン・バニヤン『天路歴程』

(六) 十字架と墓

私が夢の中で見ていると、クリスチャンは両側に壁のある道に入った。壁の名前は〈救い〉といった(イザヤ26:1)。クリスチャンはこの道を走ったが、背中の重荷のせいではなはだしく困難を覚えた。走っていくと小高い丘に到着した。そこには十字架が突き立てられ、その下のほう、丘のふもとには墓があった。それで、私は夢の中で見ていると、クリスチャンが十字架に近づいた。ちょうどその時、重荷が肩からするりと落ちた。重荷は墓の入り口まで転がっていき、墓の中に落ちた。もうそれ以上は見えなかった。

クリスチャンは心踊り、喜びで顔が明るくなった。

「彼がその悲しみによって私に休息をくださり、その死によっていのちをくださったのだ」

しばらくそのまま立っていたが、十字架を見上げて首をかしげた。十字架を見上げることで重荷がこのように取り除かれたことが、あまりにも不思議だったからである。彼は十字架を何度も見た。そのうちに涙が滝のように溢れて頬を伝った(ゼカリヤ12:10)。彼が十字架を見上げながら泣いていると、光り輝く三人の人が現れた。三人は彼にあいさつした。

「平安があなたにあるように」

一番目の人が言った。「あなたの罪がゆるされますように」(マルコ2:5)。二番目の人は、彼のぼろ着を脱がせて、立派な外套を着させた(ゼカリヤ3:4)。三番目の人は彼のひたいに印をつけた(エペソ1:13)。そして、彼に封印された巻物を手渡した。道中これを無くさぬように、そして天の門に着いたらこれを渡すように、と彼に言いつけた。こうして三人は去った。クリスチャンは喜んで飛び跳ねるのを三人に見せ、それから歌いながら進んだ。

「ここまで私は自分の罪を背負ってきた。
どんなものも私の嘆きを取り去ってくれなかった。
ここにたどり着くまでは。ここはなんという場所なのだろう!
ここが間違いなく私の至福の始まりなのでしょうか。
ここで間違いなく重荷が背中から落ちたのでしょうか。
ここで間違いなく私を縛る縄がほどけたのでしょうか。

さいわいな十字架よ!さいわいな墓よ! 私のために恥となってくださった方にさいわいあれ!」