ジョン・バニヤン『天路歴程』

(五) 解釈者の家

クリスチャンが先に進むと、解釈者の家に着いた。何度も扉を叩くと、やっとひとりの人が来て、「どなたですか」と尋ねた。

クリスチャン「旅の者です。このお屋敷の方のお知り合いから、ここでためになるお話が聞けると伺ったものですから。ご主人はいらっしゃいますか」

その人は主人を呼びに入った。しばらくして主人が来て、「どんなご用件ですか」と尋ねた。

クリスチャン「先生、私は滅びの町から来て、シオンの山に向かっております。この道の発端にある門の守衛から、ここであなたとお話すれば、旅の益になる素晴らしいことを教えていただけると伺いました」

解釈者「お入りなさい。ためになることをお話しましょう」

彼は従者にろうそくの火を持たせ、クリスチャンに後を付いてくるように言った。案内されたのはひっそりと奥まった部屋だった。中に入ると、威厳に満ちた男性の絵が壁にかけてあった。その様子はこうだった。目は天を見上げ、手には最高の本を持ち、真理の律法がくちびるに記され、世界が彼の背後にあった。その風貌は人を弁護するようであり、頭に金の冠が載っていた。

クリスチャン「これはどういう意味ですか」

解釈者「この絵に描かれた方は、千人に一人の者です。多くの子をもうけ(第一コリント4:15)、旅の先々で子を生み(ガラテヤ4:19)、生まれた子らをみずから手塩にかけて育みました。ご覧のとおり、目は天を見上げ、手には最高の本を持ち、真理の律法がくちびるに記されています。その意味は、罪人の隠れた闇を知り、それを明るみに出すのが彼の働きであるということです。また、ご覧のとおり、人を弁護するような風貌です。世界が彼の背後にあり、王冠が頭に載っています。その意味は、主の恵みに対する愛に燃えている彼は、現在のものを軽蔑し、やがて来る次の世で報いとして栄光を受けることを確信しているということです。この絵をはじめにご覧になっていただいたのはなぜかと申しますと、目的の地を支配しておられる主が、あなたが道中でさまざまな困難にぶつかるときに、この方が案内者となるようにと権威をもって定められたからです」

次に、解釈者はクリスチャンの手を取って、広々とした応接間に案内した。そこは掃除されておらず、ほこりが積もっていた。クリスチャンがしばらく見回していると、解釈者は従者を呼んでそこを掃かせた。ところが、掃き始めるとほこりがひどく舞ったので、クリスチャンは咳き込んだ。解釈者は横にいた乙女に、水を持ってきて部屋にまくように命じた。水をまくと、部屋はきれいになり、すがすがしくなった。

クリスチャン「これはどういう意味ですか」

解釈者「この部屋は、これまで一度も福音の豊かな恵みによってきよめられたことのない人の心です。ご覧になったとおり、箒で掃き始めるとほこりが部屋中に舞うので、人がきよめることはできず、むしろ咳が出るほどひどくなります。その意味は、律法は心を罪からきよめることをせず、罪を呼び覚まし(ローマ7:9)、罪の働きを強め(第一コリント15:56)、魂のうちで罪の力がますます強くなります(ローマ5:20)。律法は罪を明るみに出し、禁ずるだけで、罪を支配する力はありません。また、乙女が部屋に水をまくと部屋がきよらかになりましたが、その意味は、福音が来ると心に豊かで尊い感化を与えるということです。乙女が床にまいた水がほこりを流しましたが、それは罪が征服され支配されて、信仰によって魂がきよめられたということです。そうして、栄光の王が住まうにふさわしい部屋になるのです(ヨハネ15:3、エペソ5:26、使徒15:9、ローマ15:25-26)」

また私が夢で見ていると、解釈者がクリスチャンの手を取って、小部屋に連れて行った。そこには小さな子供が二人、椅子に座っていた。年上のほうは熱情という名前で、年下のほうは忍耐という名前だった。熱情はひどく不機嫌そうで、忍耐は静かにしていた。

クリスチャン「どうして熱情は不機嫌なのですか」

解釈者「二人の主人が来年になるまで精一杯座っていなさいと言い付けましたが、彼は今すぐすべてのものを欲しています。けれども、忍耐はじっと待っています」

すると、人が熱情のところに宝の入った箱を持って来て、足元にあけた。熱情はそれを取り上げて得意満面になり、忍耐を馬鹿にして笑った。けれども、熱情はあっというまに財産を使い果たし、あとにはくずだけが残った。

クリスチャン「これはどういう意味ですか。教えてください」

解釈者「この二人の子供はたとえです。この世の人の熱情と、やがて来る世の人の忍耐です。ご覧のとおり、熱情は今すぐすべてのものを欲しています。今年のうちに、つまりこの世にあるうちにです。この世の人も同じです。この世の人は今の世で良いものを受けなければ気が済みません。次の年まで、すなわち次の世まで良いものの受ける分を待っていられません。『捕まえた一羽の鳥は藪の中にいる二羽にまさる』という格言は、この世の人には権威あるものです。けれども、やがて来る世の良いものを証言する聖徒にとってはそうではありません。熱情はあっというまに財産を使い果たし、後にはくずしか残っていませんが、この世の人も、世の終わりにはそのようになります」

クリスチャン「忍耐が深い知恵を持っていることがわかりました。

一、忍耐は最も良いものを待っている
二、熱情にはくずしか残らないが、忍耐は栄光を受けるようになる

こういった点で知恵がありますね」

解釈者「もうひとつ付け加えると、次の世の栄光は決して衰えませんが、この世のものは突然消えてしまいます。だから、熱情は最初に良いものを受けたからといって忍耐を笑うとすれば、忍耐が最後に最も良いものを受けたときに熱情を笑わなければならないでしょう。最後のものはやがて必ず来るので、最初のものは最後のものに置き替わらなければならないが、最後のものは何にも置き換わりません。もうその後には何もありませんから。ですから、最初に分け前をもらった者はそれを時間とともに消費せざるを得ませんが、最後に分け前をもらう者は永遠にそれを保ちます。金持ちについてこう言われているとおりです。『あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている』(ルカ16:25)」

クリスチャン「そうですか。現在のものに心を煩わせるのではなく、やがて来るものを待ち望むべきだということがわかりました」

解釈者「それは真理です。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠だからです(第二コリント4:18)。だがそうであっても、現在のものと私たちの肉の欲はなじみ深い隣人同士であるし、また、やがて来るものと肉の感覚は見ず知らずの他人同士です。それゆえ、現在のものと肉の欲は非常に結びつきやすく、やがて来るものと肉の感覚はなじみません」

また、私が夢の中で見ていると、解釈者はクリスチャンの手を取って、壁から火が吹き出ている場所に連れて行った。ひとりの人がその近くに立っていて、消火するために水を何度もかけていたが、火はますます強く燃え盛るばかりだった。

クリスチャン「これはどういう意味ですか」

解釈者「この火は、心の中に働く恵みのわざです。火を消そうとして水をかける者は、悪魔です。ところが、ご覧のとおり、火はますます強く燃えます。どうしてこうなるのかご覧に入れましょう」

そう言って、彼はクリスチャンに壁の裏側を見せた。そこには油の瓶を持った男がいた。彼が途絶えることなく、密やかに、油を注いでいたのである。

クリスチャン「これはどういうことですか」

解釈者「これはキリストです。キリストが、心の中に始まったみわざを維持するために、途絶えることなく恵みの油を注いでくださいます。それによって、悪魔がいかなる邪魔をしたとしても、キリストの民の魂は恵みを保ちます。そして、壁の裏側に立っていた男が火を維持していたのをご覧になりましたね。このことが教えてくれるのは、試みにあっている者にとって、恵みのわざが魂の中でどのように維持されるているのかは理解しがたいということです」

解釈者はまた彼の手を取って、見るも美しい荘厳な宮殿が建っている、うるわしい場所に連れて行った。クリスチャンはそれを見て非常に喜んだ。宮殿の上のほうには、黄金の衣をまとった人たちが歩いているのが見えた。

クリスチャン「中に入ってもよろしいですか」

解釈者は彼を宮殿の入り口に連れて行った。扉の前には大勢の人が詰めかけていて、中に入ろうとするも入れずにいた。少し離れたところに椅子とテーブルがあり、そこに座っている人がいた。テーブルには本とインクが置いてあり、本には宮殿に入れる人の名前が記されていた。また、宮殿の入り口には鎧を着た門番がたくさんいて、中に押し入ろうとする者を攻撃しようと構えていた。

クリスチャンはそれを見て唖然としていた。しばらくすると、門に詰めかけていた人々は門番に恐れをなして退散しはじめた。ひとりのこわおもての男がテーブルで座って書いている人に近づいて、「そこに俺の名前を書け」とすごんだ。そして名前を書かせると、彼は剣を抜いて、兜をかぶり、門番のところに走っていった。門番たちは死力を尽くして戦った。ところが、その男は降参せず、果敢に剣を振り回した。追い返そうとする門番たちの攻撃で彼は多くの傷を負った(マタイ11:12、使徒14:22)が、ついに門番たちをみな倒して、宮殿に押し入った。すると、中から歓喜の声が聞こえてきた。宮殿の上のほうにいる人たちの声だった。

「お入りなさい。お入りなさい。永遠の栄光をあなたは勝ち取る」

その男は中に入った。そして、上の人々と同じ黄金の衣を着せられた。クリスチャンはそれを見てほほえみ、「これがどういう意味なのか、私にもすっかりわかったと思います」と言った。

「さあここから行きましょう」とクリスチャンは言ったが、解釈者は引き止めた。「まだもう少し見せたいものがあります。そのあとで旅をお続けなさい」

彼はまたクリスチャンの手を取って、真っ暗な部屋に連れて行った。そこでは鉄格子の内側にひとりの男が座っていた。

見ると、男は陰鬱な顔をしていた。うつむいて地面を見つめ、手を組んで、落ちこんでいる様子でため息をついた。クリスチャンは尋ねた。「これはどういう意味ですか」。解釈者は男に話をするよう促した。

クリスチャンは男に尋ねた。「あなたはどなたでしょうか」

男「私は昔はこうではなかった」

クリスチャン「昔はどうだったのですか」

男「私は昔、精気あふれる信仰者だった(ルカ8:13)。自分でもそう自負していたし、人からもそう認められていた。天の都にふさわしい者だと自認し、天でいただけるものを思い浮かべては喜んでいた」

クリスチャン「では、今はどうなったのですか」

男「私は今、失意の人だ。この牢屋に閉じ込められているように、失意に閉じ込められている。ああ、まったく出られない!」

クリスチャン「でも、どうしてこんなふうになったのですか」

男「目を覚まして気をつけていることができなかった。私は情欲の手綱を引いてしまった。私はみことばの光に対して、また神の善に対して罪を犯した。私は聖霊を悲しませたので、聖霊は去った。神に怒りにまかせて悪態をついたので、神は私を去った。私は心をかたくなにし、悔い改めることができなくなったのだ」

それで、クリスチャンは解釈者に言った。「ですが、このような人にはもう希望はないのでしょうか」。解釈者は「本人に尋ねてみなさい」とだけ答えた。

クリスチャン「もう希望はないのでしょうか。失意の牢獄から出られないのでしょうか」

男「ああ、もう希望は残っていない」

クリスチャン「どうしてでしょうか。祝福された御子はあわれみ深い方ですのに」

男「私は御子を二度、十字架にかけたのだ(ヘブル6:6)。御子を軽んじた(19:14)。御子の義を軽んじた。御子の血を汚れたものとみなした。恵みの御霊をあなどった(ヘブル10:29)。だから、私は自分をすべての約束から閉め出した。今、私に残されているものは恐怖だけだ。必ず来る裁きと燃える御怒りが私を反逆者として滅ぼすことをただひたすら怯えている」

クリスチャン「どうしてそんなふうになったのですか」

男「この世の情欲、享楽、利益だ。そういうものにどっぷりとつかって、喜びが尽きることはないだろうと思った。だが今や、それらのものが虫のように私をかじり食っている」

クリスチャン「それなら、今となっては悔い改めて立ち返ることはできませんか」

男「神が私から悔い改めを取り上げたのだ。神のことばはもう私を信仰へと励まさない。そうだ、神ご自身が私を牢獄に閉じ込めた。世界中のどんな人間でも私を外に出せない。ああ、永遠に! 永遠に! 永遠に続くこの不幸に、私ごときがどうして手出しできようか」

解釈者「この男の不幸をとこしえの戒めとして覚えてください」

クリスチャン「なんとおそろしい! 私が目を覚まして気をつけていられるように、神が助けてくださいますように。また、この男のような不幸に陥らぬよう祈れますように。先生、そろそろ私は旅を続けるべき時ではないでしょうか」

解釈者「もうひとつだけお見せしますから、それまでお待ちください。その後でお行きなさい」

彼はまたクリスチャンの手を取って、ある部屋に案内した。そこでは、ひとりの人が寝床から起き上がるところだった。彼は服を着ると、ガタガタと震えた。クリスチャンは「どうしてこの人は震えているのですか」と尋ねた。解釈者は彼に理由を説明するよう促した。

彼は話し始めた。「夜、眠っている間に夢を見ました。天が真っ暗になり、世にも恐ろしいさまで雷鳴がとどろきました。それで私はおびえました。夢の中で見上げると、雲がものすごい速さで流れていました。そこからラッパの音がけたたましく鳴り響くのが聞こえました。また雲の上にひとりの人が座っていて、天の軍勢を従えているのが見えました。軍勢は燃えさかる火に覆われ、天もまた火に覆われていました。そのとき、声が聞こえました。

『死人たちよ、起き上がれ。裁きの時が来た』

すると、岩が裂け、墓が開き、死人がそこから出てきました。ある者は歓喜して天を見上げ、ある者は山の下に隠れようとしていました。それから、雲の上に座っておられる方が本を開き、世界よ近づきなさいと命じるのを見ました。ところが、彼の前から吹き出る激しい炎のゆえに、彼と世界との間には、法廷での裁判官と囚人のように一定の距離が保ってありました(第一コリント15:1-58、第一テサロニケ4:16、ユダ1:15、ヨハネ5:28-29、第二テサロニケ1:8-10、黙示録20:11-14、イザヤ26:21、ミカ7:16-17、詩篇5:4、詩篇50:1-3、マラキ3:2,3、ダニエル7:9-10)。また、雲の上の方に従っている軍勢に、こう命じるのが聞こえました。

『雑草、わら、切り株を集めて、火の池に投げ込め』(マタイ3:12、マタイ18:30、マタイ24:30、マラキ4:1)

すると、私の立っているところのすぐ近くに、底知れぬ穴が口を開きました。そこからすさまじい音でおびただしい量の煙と炭火が吹き出てきました。また、雲の上の方が言われました。

『私の麦穂を収穫して穀物倉に納めよ』(ルカ3:17)

すると、大勢の者が雲の中に引き上げられていくのが見えましたが、私は取り残されました(第一テサロニケ4:16-17)。私もどこかに隠れようとしましたが、できませんでした。雲の上の方が私をじっと見つめておられたからです。心の中に私の罪もあふれてきて、良心が自分を責め立てました。(ローマ2:14-15)そこで眠りから覚めました」

クリスチャン「けれども、その夢を見て、どうしてそんなに恐れているのですか」

男「それはもう、裁きの日が来たのに私はその備えができていないと思ったからです。最も恐ろしかったのは、御使いが多くの者を引き上げたのに、私だけ取り残されたことです。また、地獄の穴が私のすぐ近くに口を開いたことも。良心も私を責め立てました。それで私は思ったとおり、裁き主の目はいつも私の上にあり、その御顔には憤りがありました」

そのとき、解釈者がクリスチャンに言った。「これらすべてのことについてよく考えましたか」

クリスチャン「はい、すべてが希望と恐れとなって私の中にあります」

解釈者「さあ、すべてのことを心の中にとどめ、それらがあなたを刺し通すようにしなさい。あなたが行く道を進む時に、その痛みがあなたを刺すように」

クリスチャンは腰巻きを締め、旅に出ることにした。解釈者は祈った。「善良なクリスチャンよ、慰め主がいつもあなたと共におられ、都に至る道で導いてくださいますように」

それでクリスチャンは旅路を出発した。

「ここで貴重なためになるものを見た。
喜ばしいもの、恐ろしいもの、身を引き締めるもの。
それらを手近に引き寄せて、
よくわかるまで考えよ。
なぜそれらを私に見せてくれたのかを。
感謝しよう。ああ、良き解釈者、あなたに」