ジョン・バニヤン『天路歴程』

(三) 世の賢者

さて、クリスチャンがひとりで歩いていると、平野の向こうから人が来るのが見えた。二人は交差路でばったりと出会った。その人の名前は〈世の賢者〉といった。滅びの町の近くにある〈世の知恵〉という大きな町に住んでいた。彼はクリスチャンのことを噂で聞いていた。というのも、クリスチャンが滅びの町を出立したことは大きな騒ぎになったので、地元だけでなく、他の町にまで噂が広がっていたのである。クリスチャンがたゆまず歩き、青息吐息になっているのを彼はまじまじと見つめて、話しかけた。

世の賢者「こんちには。そんなに大きな重荷を背負ってどちらに行かれるのですか」

クリスチャン「重荷を背負って――あわれな者に見えますよね! それで、どちらにと聞かれましたね。私は、あちら前方に見える狭い門に行こうとしています。そこに行けば、この重たい荷物を背中から降ろしてもらえると聞きまして」

世の賢者「あなたには、妻子はおられますか」

クリスチャン「います。ですが、この重荷があまりにもつらいので、家族と一緒にいる喜びを以前のように味わう余裕がなくなりました。まるで自分が何も持っていないように感じられます。」(第一コリント7:29)

世の賢者「私の話を聞いてもらえますか。助言できると思います」

クリスチャン「よろしければお願いします。私には助言が必要です」

世の賢者「では。その重荷をはやく降ろしてしまいなさい。そうしなければ、心の平穏が訪れることはありませんし、神があなたに与えてくださる祝福を楽しむこともできません」

クリスチャン「そうしたいのはやまやまです。こんなに重たいものは降ろしたいです。ですが、自分では降ろすことができませんし、私たちの国にもこれを肩から降ろしてくれる人はいません。だから私は、お話ししたとおり、重荷を降ろすためにこの道を進んでおります」

世の賢者「この道を行くようにと誰が言ったのですか」

クリスチャン「立派で高貴なお方が私に会ってくださいました。名前は確か、伝道者といいます」

世の賢者「そんな助言をするなんて、まったくひどい人ですね! 彼があなたに勧めた道ほど危険で困難な道は、この世に他にありませんよ。助言どおりに行ったら大変なことになります。お察ししますが、さっそくやっかいごとに巻き込まれたんでしょう。なにしろ、失望の沼の泥が体に付いていますからね。沼は悲しみの始まりにすぎません。このまま行くと多くの悲しみにあうことになります。

よく聞いてくださいね。私はあなたより齢を重ねています。あなたが歩いている道で待ち構えているのは、疲労困憊、痛み、飢え、危険、裸、剣、獅子、竜、闇、そして死などです。本当です。嘘じゃありません。多くの証言があります。ですから、赤の他人の忠告でも真剣に受け止めれば、その道に身を投げ出すなどという愚をおかす人はいないでしょうね」

クリスチャン「お言葉ですが、私の背中にある重荷は、お話ししてくださったあらゆる患難よりも私には恐ろしく感じられるのです。この重荷から解放されるなら、この道でどんなものと出会うとしても構いません。」

世の賢者「その重荷は、はじめどんなふうにして背中に載せられたのですか」

クリスチャン「この手に持っている本を読んでいるうちに、こうなりました」

世の賢者「やはりそうですか。なに、弱い人によくあることです。物事を思いつめて考えすぎ、あなたみたいにあるとき急に混乱します。それで自分を見失うばかりでなく、あなたがしているように、自分でも何を求めているかもわからずに無茶な冒険に出るものです」

クリスチャン「私は自分で何を求めているか知っていますよ。身を押しつぶすようなこの重荷から自由になることです」

世の賢者「でも、自由を求めているのに、どうしてこんな危険の多い道を進むのですか。私なら、あなたが求めているものを得る方法を教えてあげられますよ。あなたが聞く耳を持っていればの話ですが。こんな道をわざわざ行って危険に身をさらす必要なんかありません。やり方は簡単です。付け加えておくと、その方法なら危険でないだけでなく、安全で仲間もいて満ち足りることができます」

クリスチャン「どうかその秘密を私にも教えてください」

世の賢者「もちろんです。あちらのほうに〈道徳〉村という村があって、そこに〈遵法〉という名前の方がいます。非常に思慮深く、非常に良い名前を持っておられます。その方は、あなたのような人から重荷を降ろす方法を心得ていらっしゃいます。じっさい私の知るところによると、あの方は、この道に迷い込んだ人を何人も助けました。それだけでなく、重荷のせいで正気を失った人を直す方法もご存知です。ですから、申し上げたとおり、すぐにあの方のところで助けてもらいなさい。ここからそう遠くありません。あの方がご在宅でなかったとしても、家には〈礼節〉という名前の若いご子息がおられます。お父上と引けを取らない腕前ですから大丈夫です。そこに行けば、重荷を取ってもらえます。それに、もしあなたが前に住んでいた町に戻るのがお嫌でしたら、妻子をこの町に呼びにやることもできます。私も前の町に戻るのはおすすめしません。この町にはいくつか空家があって、手頃な値段で買えます。物価も安くて良い物が手に入ります。ここは隣人もきちんとしていて正直で信頼できますから、前の暮らしよりも良くなることうけあいです」

クリスチャンはしばらく迷っていたが、決心した。もしもこの人の言ったことが真実なら、忠告に従うことが最も賢明だ。そう考えて、口を開いた。

クリスチャン「では、すみませんが、その正直な方の家へはどのように行ったらよいでしょうか」

世の賢者「向こうにある高い山が見えますか」

クリスチャン「はい、よく見えます」

世の賢者「あの山のほうに向かってください。そうしたら通りの一軒目がその方のお宅です」

こうしてクリスチャンは道を変更して遵法の家に向かった。ところが、山のふもとに来ると彼は困難を感じた。山は高くそびえ立って見え、道の真横に崖がせり出していた。先に進むのは危険だと感じた。いまにも岩が頭上に落ちてきそうだった。クリスチャンは呆然と立ち尽くした。背中の重荷は、以前よりもずっしりと重くなっていた。山から炎も吹き出てきた(出エジプト19:16-18)。クリスチャンは、身が焼かれるのではないかと怯えた。ここに来て、恐怖で体が震えた(ヘブル12:21)。世の賢者の忠告に従ったことを後悔し始めた。そうこうしていると、向こうから伝道者がやってくるのが見えた。クリスチャンは恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。伝道者はだんだんと近づいてきた。そして、彼の目の前に来て、きびしい表情でじっと見つめ、諭し始めた。

伝道者「クリスチャンさん、ここで何をしているのですか」

クリスチャンは返答に窮した。伝道者は続けた。「あなたは滅びの町の外で泣いていた方ですよね」

クリスチャン「はい、先生。それが私です」

伝道者「狭い門のところに行くようにと、私は申し上げませんでしたか」

クリスチャン「はい、先生」

伝道者「それなら、どうしてこんなにも早く道を変えたのですか。あなたはもう道から外れています」

クリスチャン「失望の沼を抜けたところで、ある人と出会いました。その人が私に、前方の村である人を探して重荷を取ってもらいなさいと忠告したのです」

伝道者「それは誰ですか」

クリスチャン「立派な人に見えました。たくさんのことを話してくれたので、私も納得しました。それでここに来ました。でも、この山を見て、崖が道に大きくせり出しているものですから、頭上に落ちて来るのではないかと急に怖くなったのです」

伝道者「その人はあなたに何と言いましたか」

クリスチャン「私の行き先を尋ねてきたので、それに答えました」

伝道者「それから何か言われましたか」

クリスチャン「家族はいるか、と。それで私は、家族はいるものの、背中の重荷で押しつぶされそうなので、家族といる楽しみを感じられないと答えました」

伝道者「そうしたら彼は何と言いましたか」

クリスチャン「早く重荷を降ろしたほうがいい、と。私は、そうして楽になりたいです、と答えました。だからあちらの門に行って、解放される場所に行くための助言をそこでもらうのだ、と言いました。すると彼は、もっと良い方法、短くて簡単な方法があると言いました。先生、あなたが教えてくださった方法よりも簡単だということです。彼が言うには、こういう重荷を降ろさせてくれる力を持ったお方がいるので、その家に行きなさい、とのことでした。私はそれを信じて、行き先を変えてここに来ました。早く重荷を降ろして楽になりたかったからです。ところが、ここに来ると、こんなふうになっていて、危ないし怖いしで立ち止まりました。途方に暮れています」

伝道者は、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「神のみことばを聞きなさい」

クリスチャンは恐れおののいた。伝道者は言った。

『あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか』 (ヘブル12:25)

『わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない』 (ヘブル10:38)

伝道者はこのことばを彼に当てはめた。

「あなたはこの悲惨な過ちに陥ろうとしています。いと高き方の警告を拒み、平和の道から踏み外そうとしています。地獄の危険はすぐそこです」

それを聞いて、クリスチャンは死んだように彼の足元に倒れて、叫んだ。「私はなんということをしたのでしょうか! 滅ぼされます!」

伝道者は彼の右手を握って、言った。

『人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる』(マタイ12:31)

『信じない者にならないで、信じる者になりなさい』(ヨハネ20:27)

それで、クリスチャンは少し気色を回復して、立ち上がった。まださっきのように震えていた。

伝道者「あなたにこれからお話しすことをよく聞いてください。今、あなたを欺く者が誰であるのか、また彼があなたに会わせようとした者が誰であるのかをお話します。あなたが出会ったのは、世の賢者と呼ばれている者です。その名前の由来は、ひとつには、この世の教えにだけ精通しているからです(第一ヨハネ4:5)。だから、彼が道徳村の教会にいつも行くのです。もうひとつには、彼がこの世の教えを深く愛しているからです。この世の教えによって十字架から遠ざかるためです(ガラテヤ6:12)。さらにひとつには、彼が肉の性質から生まれた者だからです。ですから、彼が求めているのは、私の正しい道の邪魔をすることです。彼の助言において拒絶しなければならない三つのことを示します。

一、あなたを道から外したこと
二、十字架を嫌悪させたこと
三、あなたの足を死の支配するところに向かわせたこと

第一に、あなたを道から外そうとした彼の助言を拒絶しなければなりません。そうです、あなた自身がそれに同意してしまいました。なぜなら、世の賢者の助言に従うことは神の助言を拒むことだからです。主は言われます。

『狭い戸口からはいるように努めなさい』(ルカ13:24)

『狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない』(マタイ7:13-14)

この門に行くようにと私は案内しました。ところが、この悪い者は、この狭い門から、またそこに至る道から、あなたを外そうとしました。滅びの道へと至らせようとしたのです。だから、この道から外そうとした彼の助言を憎み、彼に聞き従うことを拒絶しなければなりません。

第二に、十字架を嫌悪させようとした彼の働きを拒絶しなければなりません。なぜなら、エジプトの宝を前にしても、十字架をそれにまさる富と思うべきだからです(ヘブル11:25-26)。それに、栄光の王はあなたにこう言われました。

『自分のいのちを救う者はそれを失う』(マルコ8:38、ヨハネ12:25、マタイ10:39)

『だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない』(ルカ14:26)

彼はあなたにこのままでは死んでしまうと説得したわけですが、真理のことばによると、それなくしては永遠のいのちを得られません。だから、あなたはこの教えを拒絶しなければなりません。

第三に、あなたの足を死の支配するところに向かわせようとした彼の働きを憎まなければなりません。考えてご覧なさい。彼はあなたを人のところに案内しようとしましたが、人にはあなたを重荷から解放する力はありません。

あなたが助けを求めに行った人は、名前を遵法といいます。彼は、奴隷の女の子供です。彼女は今も奴隷であり、その子供たちも奴隷です(ガラテヤ4:21-27)。そして、あなたが頭上に落ちてくるのではないかと恐れた山は、シナイ山です。彼女とその子供が奴隷として束縛されているとしたら、あなたは彼らの助けによって自由になることを期待できるでしょうか。ですから、この遵法という者は、あなたを重荷から解放できません。誰であれ、人が重荷を取り去ることはできませんでした。これからもできないでしょう。ですから、世の賢者は異邦人であり、遵法は詐欺師です。彼の息子である礼節は、作り笑顔をこさえていますが、偽善者にすぎません。あなたを助けられません。

私を信じなさい。これら愚かな者たちの雑言の中には、私がお伝えした道から外させて、あなたに救いを得させないように欺く意図しかありません」

それから、伝道者は天を見上げて、彼が話したことの確証を大声で求めた。すると、あわれなクリスチャンがそのふもとにいる山から、ことばと火が来た。クリスチャンは全身の毛が立つのを感じた。次のようなことばが聞こえた。

『律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである』(ガラテヤ3:10)

クリスチャンは死んでしまいたくなって、悲しみ嘆き始めた。世の賢者との会話を悔やんだ。彼の助言に聞き従ったことは愚か者千人分に匹敵すると思った。また、世の賢者との議論を思い出して、非常に恥じた。肉に流されて、正しい道を捨ててしまったのだ。それから、彼は伝道者を見つめて言葉を待ち、その導きに従おうと心に決めた。

クリスチャン「先生、どう思われますか。希望はあるのでしょうか。立ち返って、狭い門に向かってもよろしいのでしょうか。これだけのことをしても、私は見捨てられず、恥はすすがれるのでしょうか。私は世の賢者に聞き従ったことを悔いています。私の罪はゆるされるでしょうか」

伝道者「あなたの罪は確かに大きい。二つの悪を犯したからです。あなたは、良い道を捨て、さらに禁じられた道に足を踏み入れました。しかし、門の守衛はあなたを受け入れてくれるでしょう。彼は優しい人だから。ただ、二度と道を外さないように気をつけなさい。『さもないと、主は怒って、あなたを道で滅ぼされるであろう。その憤りがすみやかに燃えるからである』(詩篇2:12)」