ジョン・バニヤン『天路歴程』

(二) 失望の沼

私は夢で見ていた。平野の真ん中に大きな泥沼があった。会話が終わるころ、二人はそこに差し掛かった。不注意にも、二人とも泥沼にずぼりと落ちてしまった。沼の名前は〈失望〉といった。二人はしばらくの間、泥まみれになって溺れた。クリスチャンは背中の重荷のせいで沼の中に沈み始めた。

軟弱「おお、クリスチャンさん、どこにいるのですか」

クリスチャン「自分でもどこにいるかわかりません」

その時、軟弱は顔を赤らめてクリスチャンに怒鳴った。「これが道中あなたが話してくれた幸福ってやつですか。のっけからこんなひどい目にあうのなら、旅の終わりまでに何を期待できるというんですか。もとの暮らしに戻らせてもらいます。その素晴らしい国にはひとりで勝手に行ってください」

そう吐き捨てると、軟弱は必死でもがいて沼から抜け出した。はい上がった沼のふちは自分の家のある側だった。すたすたと軟弱は帰って行き、まもなく見えなくなった。

それで、クリスチャンは失望の沼にひとり取り残された。なんとかして沼から抜け出そうと、やっとのことで岸に来ると、そこは自分の家から遠く離れた沼の反対側だった。すぐそこには、狭い門があった。ふちまで来たが、背中の重荷のせいで岸からあがることができなかった。だが、私が夢の中で見ていると、一人の男がやって来た。名前は〈助力〉といった。助力はクリスチャンに尋ねた。「そこで何をしておられるのですか」

クリスチャン「伝道者という方に出会って、この道を行くようにと言われたのです。やがて来る御怒りからのがれるために、狭い門に行きなさい、と。それで向かっていたら、こうして落ちてしまいました」

助力「では、どうして歩道を探さないのですか」

クリスチャン「恐れが私についてまわるので、先に進めずに怖気づいています。だからこうして落ちたままです」

助力「それなら、手を出してください」

クリスチャンが手を差し出すと、助力は彼を引っ張り出した(詩篇40:2)。彼を乾いた地に立たせ、続けて道を行くようにと諭した。

夢の中で私は、クリスチャンを引き抜いた助力に歩み寄って、尋ねた。「すみません。ここは滅びの町から狭い門に続く道の途中だというのに、どうしてこの沼地を埋めないのですか。あわれな旅人がもっと安全に旅路を行けるように、工事したらよいではありませんか」

すると、助力は教えてくれた。

「この泥沼は、埋め立てられるものではありません。この窪地には、罪の自覚にともなって出る残滓と汚物が流れ込んで集まっています。それで失望の沼と呼ばれています。罪人が自分の失われた状態に目覚めるとき、その魂に恐れ、疑い、心をくじくような思い煩いが起こってきます。それらがごちゃまぜになって、この場所に溜まっています。そういう理由で、ここはひどいありさまなのです。

この場所をひどいまま放置するのは、王のみこころではありません(イザヤ35:3-4)。王の測量士の命により、百六十年以上もの間、この場所を埋め立てるために人が雇われています。私の知るところでは、少なくとも二万台の荷馬車が積み荷ごと飲み込まれました。荷馬車は何百万回もの計画的な命令によって、毎日のように王の国中から運ばれてきました。しかも、信頼できる筋によると、運搬された土は最高品質のものだそうです。そうして沼を埋め立てようとしているのですが、あいかわらず失望の沼は変わりません。できるかぎりのことをしても、ずっとこのままでしょう。

本当は、この沼の真ん中にはきちんと舗装された歩道が敷かれています。立法者の命令で造られました。ですが、沼は大量のごみを吐き出しますし、天候によって様子がずいぶん変わりますから、その歩道は見えにくいのです。見えたとしても、そこを歩いていると頭がくらくらして、たいてい足を踏み外して泥まみれになります。それでも、歩道はあることにはあります。けれども、門を通過すればその先の大地は歩きやすくなります」

私は夢の中で見ていた。この頃には軟弱は帰宅していた。それで、近所の者が彼のところに来た。ある者は、帰ってくるとは賢明だと言って褒めた。またある者は、クリスチャンと同行して危険な目にあったのは馬鹿だとけなした。またある者は、彼の臆病さを笑った。「せっかく思い切って旅に出たのに、ちょっとの困難で引き返すなんて、自分ならそんな見苦しいことはしないね」

軟弱は恥ずかしくなってしばらく人目を避けていたが、そのうちに自信を取り戻した。人々も話題を変えて、みじめなクリスチャンを馬鹿にして笑った。こうして軟弱もうわさ話に加わった。