クレメンスの第一の手紙 / ローマのクレメンス

41-50 章

41:1 兄弟たち、あなたがた一人ひとりが、自分の使命において神に感謝し、良心を保ち、奉仕の働きのために任せられた規則に背かず、相応しく行いなさい。
41:2 兄弟たち、日々の捧げ物、自主的な捧げ物、罪の捧げ物と罪過の捧げ物は、どの場所でもよいのではなく、エルサレムでのみ捧げられます。また、エルサレムの中ならどこでもよいのではなく、祭壇の庭の聖なる場所で捧げなければなりません。さらに、これも大祭司と前述の奉仕者たちの手によってであり、それから、捧げられるいけにえは傷のないことを確認されました。
41:3 したがって、神のみこころにかなった命令に逆らって行う者は、罰として死を受けます。
41:4 兄弟たち、おわかりでしょうが、私たちがいただく知識が素晴らしいものであるほど、それに応じて私たちは危険にも晒されます。

42:1 使徒たちは、主イエス・キリストから、私たちのための福音を受け取りました。イエス・キリストは神から遣わされたのです。
42:2 ですから、キリストは神から、使徒たちはキリストから来ています。ゆえに、どちらも任ぜられた使命において神のみこころから来ています。
42:3 したがって、使徒たちは、使命を受け、私たちの主イエス・キリストの復活による完全な保証と、神のことばと聖霊のまったき保証とによる確証をいただいたので、神の御国の到来という喜ばしい知らせを携えて出て行きました。
42:4 それで、使徒たちは、国でも町でもいたるところで宣べ伝え、初穂となった人々に、聖霊が証しするとおりに、信者たちの監督と執事の職を任命しました。
42:5 使徒たちのこうした行いは、新奇な流儀ではありません。昔から、監督と執事について書かれています。聖書がある箇所で述べているとおりです。「私は監督を義のうちに任じ、執事を信仰のうちに任じた。」

43:1 キリストに信頼して神による働きをした人々が、そういう職を任命したとすれば、何か驚くべきことがあるでしょうか。祝福されたモーセは、神の家に忠実に仕えたしもべでしたが、彼に命じられたすべてのことが聖書にしるしとして残されています。他の預言者たちもモーセに続き、モーセの命じた律法について、モーセと共に証を負いました。
43:2 祭司職に関してイスラエルに嫉妬が生まれ、栄光ある名が冠せられた十二部族に不和が生じたとき、モーセは各部族の族長たちに、部族の名前を書いた杖を持って来るように命じました。モーセは十二本の杖をとり、縛って、族長の印つきの輪で封じ、証の幕屋の神の台の上に置いておきました。
43:3 そして、幕屋を閉め、鍵も扉も閉め、封をしました。
43:4 モーセは彼らに言いました。「兄弟たち、杖から芽が出た部族が、神に仕え奉仕するよう選ばれた部族だ。」
43:5 さて、朝が来ると、モーセはイスラエル全家を呼び寄せました。その数は男六十万人に及びました。封印を族長に見せ、証の幕屋を開けて、杖を持ち出しました。すると、アロンの杖から芽が出ていました。それだけでなく、実もなっていました。
43:6 親愛なる方々、どう思われますか。モーセは事前にこのようなことが起こると知っていなかったでしょうか。知っていたのは確実です。けれども、この不和がイスラエルに起こると、そのように行いました。そして、最後には、真実で唯一なる神の御名が栄光をお受けになりました。この方に栄光がとこしえにありますように。アーメン。

44:1 また、私たちの使徒たちは、私たちの主イエス・キリストを通じて、監督職の名の上にも争いが起きることを知っていました。
44:2 このため、完全に予見していたとおり、使徒たちは前述の人々を任命し、それから、最初の人々が眠りについても、他の承認された人たちが彼らの働きを受け継いで途絶えないようにしました。ですから、使徒たちに任命された者や、後に全教会が一致して承認した者は、心のへりくだりをもって、非難されるところなく、平和に、謙遜に、キリストの会衆に仕えてきました。長きにわたってあらゆる人々から良い報告を受けてきました。ところが、私たちの考えによると、彼らは働きから不当に追い出されたのです。
44:3 監督職の賜物をきよく、非難されるところなく捧げた方々を追い出すとしたら、私たちにとって決して小さな罪ではありません。
44:4 すでに亡くなった長老たちは祝福されています。彼らの出発は実り豊かで盛況でした。彼らは、自分の任命された場所から失脚させようとする者がいるのではないかとは恐れなかったからです。
44:5 あなたがたは、誉められるべき生活をしている人たちを、その職務から解任してしまいました。彼らは非難されるところなく、その職務を尊重してきたにもかかわらず、です。

45:1 兄弟たち、あなたがたは救いに関わる事柄についてこそ、論争好きで嫉妬深くありなさい。
45:2 あなたがたは、真実なる、聖霊を通じて与えられた聖書を調べました。
45:3 聖書には不義や虚偽がいっさい書かれていないことをご存知でしょう。義人が聖人から追い出されたなどという箇所は一つも見つかりません。
45:4 義人は迫害されましたが、無法者によってでした。投獄されましたが、汚れた者によってでした。石を投げられたのは、背く者によってでした。殺されたのは、忌むべき不義な嫉妬を抱く者によってでした。
45:5 義人はこのように苦しみましたが、立派に耐え忍びました。
45:6 では兄弟たち、何と言わなければならないでしょうか。ダニエルは、神を恐れる者たちの手で獅子の穴に投げ入れられたのでしょうか。
45:7 また、ハナヌヤとアザルヤとミシャエルは、いと高き方の素晴らしさと栄光を礼拝する者たちの手で、火の炉に投げ入れられたのでしょうか。これは私たちの思想とまったくかけ離れています。それでは、誰がこのようなことをしたのでしょうか。悪に満ちた忌まわしい者たちが、非常な憤怒に駆り立てられて、きよく非難されるところのない目的によって神に仕えていた者たちに、残忍な仕打ちをしたのです。いと高き方が、きよい良心をもって神のすばらしい御名に仕える者たちにとって、味方であり守護者であるということを、彼らは知りませんでした。この方に栄光がとこしえにありますように。アーメン。
45:8 しかし、信頼して我慢強く耐え忍ぶ者が、栄光と誉れを受け継ぎます。彼らは高められ、神にその名を覚えられ、その記憶はとこしえに残ります。アーメン。

46:1 ですから、兄弟たち、このような例に私たちもならうべきです。
46:2 こう書かれているとおりです。「聖人にならいなさい。聖人にならう者はきよめられるから。」
46:3 また、神は他の箇所でこう仰せられます。「あなたは、きよい者にはきよくあられ、選ばれた者には選ばれた者のようにあられ、へそ曲がりにはへそ曲がりのように対される。」
46:4 ですから、きよく義なる者にならおうではありませんか。これこそが神の選びの民です。
46:5 いったいなぜ、あなたがたの間に、争いと怒りと派閥争いと分裂と戦争があるのですか。
46:6 私たちには、ひとりの神、ひとりのキリスト、私たちに恵みを注がれたひとりの御霊がおられるではありませんか。キリストにあって召しはひとつではありませんか。
46:7 どうして私たちはキリストのメンバーをばらばらに引き裂き、自分自身のからだに派閥争いを招き、そんなにも愚かになって、自分たちが互いに同じからだの一員であることを忘れてしまうのでしょうか。
46:8 私たちの主イエスのことばを思い出しなさい。こう仰せられました。「このような者はわざわいだ。私の選んだ者のひとりを攻撃するくらいなら、生まれなかったほうが、彼のために良い。私の選んだ者のひとりをつまずかせるくらいなら、からだに石をくくりつけられて海に投げ込まれたほうが、彼のために良い。」
46:9 あなたがたの分裂は多くの者をつまずかせました。多くの者を失望させ、多くの者を疑わせ、私たちみなを悲しませました。しかも争いは今も続いています。

47:1 祝福された使徒パウロの手紙を読みなさい。
47:2 パウロは福音のはじめに、あなたにまず何と書きましたか。
47:3 本当に、パウロは御霊にあって、パウロ自身とケパとアポロに関してあなたを責めました。そのときも、あなたがたは分派を形成したからです。
47:4 けれども、分派を作ること自体は、より少ない罪をあなたがたの身にもたらしました。あなたがたは評判の高いアポロの支持者となり、人々の目に認められる者の派となったからです。
47:5 しかし、今は、あなたがたをつまずかせ、あなたの高名な兄弟愛の栄光を衰えさせた者たちが誰であるのかをよく見極めなさい。
47:6 恥ずべきことです。親愛なる兄弟たち。そうです、キリストにあるあなたの行いにとって無価値でまったく恥ずべきことです。昔からある揺るぎないコリントの教会が、一人か二人のせいで、長老たちに対して争いをしかけたという報告を受けるのは。
47:7 この知らせは私たちにだけ届いたのではなく、他の人たちにも届きました。それで、あなたがたは愚かさによって主の御名に冒涜を積み、そればかりか自分自身に危機をもたらしました。

48:1 ですから、速やかにこの悪を根絶しようではありませんか。主の御前にひれ伏し、私たちに恵みを示して和解してくださるようにと、涙を流して求めようではありませんか。私たちの兄弟愛に属する適切で純粋な行いを、私たちが回復できるように請おうではありませんか。
48:2 これがいのちへと開かれた義の門です。こう書かれているとおりです。「私に義の門を開いてください。私がそこに入って主を宣べ伝えるために。」
48:3 これが主の門です。義がそこに入ります。
48:4 多くの門が開いているように見えますが、これが義のうちにある門、さらにはキリストのうちにある門です。その門に入り、きよさと義のうちに自分の道を歩み、いっさいを混乱なしに行うすべての者は祝福されます。
48:5 忠実でありなさい。深いみことばを明快に説けるようにしなさい。言葉の識別力において賢くありなさい。行いにおいて熱心でありなさい。純粋でありなさい。
48:6 へりくだればへりくだるほど、ますます偉大になるのです。自分自身の利得ではなく、すべての人の共通の益を求めるべきです。

49:1 キリストにある愛を持つ者は、キリストの命令をまっとうしなさい。
49:2 誰が神の愛のきずなを解くことができましょうか。
49:3 誰がその愛の厳粛な美しさを述べることができましょうか。
49:4 愛が引き上げる高さは、言葉で表現できません。
49:5 愛は、私たちを神に結びつけます。愛は、多くの罪を覆います。愛は、すべてを忍び、すべてを耐えます。愛には、無礼なところも高慢なところもありません。愛は分裂をもたらさず、愛は騒乱を生まず、愛はすべてを調和のうちに行います。愛にあって、神の選びにあずかったすべての者は完全にされます。愛がなければ、何をしても神に喜ばれません。
49:6 愛にあって、主は私たちをご自分のところに来るようにされました。神が私たちを愛したその愛のゆえに、私たちの主イエス・キリストは、神のみこころによって私たちのためにご自分の血を与え、私たちの肉のためにご自分の肉を与え、私たちのいのちのためにご自分のいのちを与えました。

50:1 親愛なる方々よ。愛はどんなに偉大で驚くべきものでしょうか。その完全さはとても言い表せません。
50:2 神が愛を賜る者以外に、誰が愛の中に見出される資格を持っているでしょうか。私たちが、愛のうちにあって非難されるべきところがなくなり、人の党派心から離れていられるように、神の恵みを請い求めようではありませんか。アダムから今日に至るまで、すべての世代が過ぎ去りましたが、神の恵みによって愛のうちに完全にされた者は、敬虔の住まいにとどまっています。神の御国の訪れの時に、彼らは現れます。
50:3 こう書かれています。「わたしの怒りと憤りが過ぎ去るまで、ほんのわずかなあいだ戸棚に隠れていなさい。わたしは良い日を覚え、あなたを墓から生き返らせる。」
50:4 親愛なる方々。私たちは祝福されました。愛の調和のうちに神の命令を行うなら、最後には愛を通じて私たちの罪がゆるされるのです。
50:5 こう書かれているからです。「咎がゆるされ、罪がゆるされた人々はさいわいである。主が罪を負わせず、その口に謀略のない人はさいわいである。」
50:6 この祝福のことばは、私たちの主イエス・キリストを通じて神に選ばれた者の上に宣べられました。イエス・キリストに栄光がとこしえにありますように。アーメン。