(五) あなたがたは力を受けます
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒一・八)
弟子たちは、今こそイスラエルの王国を再興してくださるのでしょうか、と主に尋ねたところでした。キリストの答えは、父がご自分の力によってお定めになった時がいつなのか、どんなときなのかは弟子たちが知らなくてよいというものでした。けれども、弟子たちが聖霊を受けるとき、彼らが世界中でキリストを証しするための力を受けるようになると、キリストは約束されました。聖霊を受けるとは神と共にある力を受けること、人々と共にある力を受けることです。
神からの力があり、サタンからの力があります。聖霊が下ったはじめの頃、私たちの集会に多くのスピリチュアリストが来ました。彼らの考えによると、彼らの受けたのと同じようなものを私たちが受けたのでした。それで彼らは有意義な時間を過ごそうともくろんで来ていました。彼らは私たちの集会で前の二列を埋めていました。神の力が下ったとき、このまがい者たちは悪魔の力のもとで何かをつぶやきながら震え始めました。主の御霊が私の上に力強く臨み、私は大声で言いました。「さあ、悪魔ども、ここから出て行け!」すると彼らは出て行きました。私が彼らの後を追って道路まで行くと、彼らは振り向いて私を呪いました。下から何か力が来ましたが、聖霊の力とは勝負になりませんでした。彼らはすぐに逃げ帰らなければなりませんでした。
主は、救われたすべての人々が上よりの御力を受けることを望んでおられます。その御力とは、証しする力、行動する力、生きる力、内側におられる神の神聖な現れを人々の前で見せる力です。神の力は、あなたを自分なりの計画から神のご計画に移します。あなた自身に出自のあるものがあなたからはぎ取られ脱がされて、神の秩序にあなたは入れられます。主はあなたを変えて、あなたの心のある場所に神の心を入れます。そうしてあなたがキリストの心を持つことができるようにします。あなたが自分自身の計画に従って仕事をするのではなく、神があなたのなかで働き、あなたを通して働くようになります。神の働きが、内側におられる御霊の力を通して、神ご自身の良き喜びを全うします。あなたの「自分」をノックアウトするまではあなたはむなしい、と言った人がいました。キリストに内側から支配していただかなくてはなりません。聖霊にあるいのちとは、良い、神に受け入れられる、完全なみこころを行うための道を作るために、たえずあなた自身の意志を内なる神のみこころに従わせることです。
前にロンドンで集会をしていたとき、閉会に際し男性が来て言いました。「この会場で十一時以降に集会を持つことは許可されていません。それであなたに私たちと一緒に家に来ていただきたいのです。私はとても神に飢え渇いています。」彼の妻も、神に飢え渇いていると言いました。だから私は彼らと一緒に行くことにしました。十二時半ごろに彼らの家に着きました。男性は火を起こし始めて、「さあ、おいしい夕食を食べましょう」と言いました。私はふたりに言いました。「私が来たのはあなたが暖かい火や、夕食や、眠りを得るためではありません。私は、あなたが神からもっと多くのものをいただくことに飢えていると思ったから来ました。」私たちはひざまずいて祈りました。三時半ごろに主は彼の妻にバプテスマを授け、彼女は御霊の話させてくださるとおりに異言を語りました。五時ごろに私は夫に話しかけて、何かありましたかと尋ねました。彼は「鉄のようにかたくなな私の意志を神が砕いてくださいました。」彼はまだバプテスマを受けていませんでしたが、神が彼の内側で力強く働いておられました。
次の日、彼の職場で周りの誰もが、彼に起きた偉大な変化に気づくことができました。以前の彼は、歩く恐怖でした。彼の下で働く人たちは、彼の行いのさまから、彼のことをまったく悪魔のように見なしていました。しかし、その夜に神の力に触れてからというもの、彼は完全に変えられました。以前から彼は宗教的な告白をしていましたが、本当の意味での新生はその晩まで経験していませんでした。その晩に、神の力が彼の家に力強く流れ込んだとき、新生経験に入りました。数日経ってから、私はこの男性の家に行きました。すると二人の息子が私にかけ寄って、「僕たちは新しいお父さんを得ました」と言いながらキスしました。こうなる前、息子たちはよくお母さんに「お母さん、もうこの家に我慢できないよ。僕たちが出て行かなくちゃ」とこぼしていました。ところが、私たちが一緒に祈った夜に、主は状況全体を変えてくださいました。二度目に訪問したとき主はこの男性に聖霊のバプテスマを授けました。聖霊は偽りの状況を明らかにし、嘘による隠れ場の覆いを取りのけ、偽りの状況を完全に片付け取り除きます。聖霊が内側に入られたとき、その男の家も仕事も男自身も百八十度変わりました。
聖霊が入って来られると、あなたは力ある証人になるよう励ましを受けます。あるとき私たちは特別な集会を開く予定になっていて、外でチラシを配布していました。私が靴を作る店に入ると、緑色のサングラスをかけて、さらに緑色の布でサングラスを覆っている人がいました。私の心は主を見上げていました。神が何か状況を変える用意ができているという内なる証しを私は持っていました。その男は叫びました。「ああ! ああ! ああ!」私は「何があったのですか」と聞きました。彼はひどい炎症とやけどで苦しんでいると言いました。私は「イエスの御名によってこの状況を叱る」と言いました。瞬間的に主が彼を癒しました。彼はサングラスと布を取って言いました。「見てください。すっかり良くなりました。」
あるとき、ある婦人から、私に来て助けてもらえませんかとお手紙をいただきました。彼女が言うには、彼女は盲目で、目の後ろに二つの血の塊がありました。私が家に着くと婦人が人に手を引かれて来ました。しばらくのあいだ一緒にいると、神の力が下りました。彼女は窓の方に走って行き、驚きました。「見えます! ああ、見えます! 血の塊がなくなりました。見えます!」婦人はそのあと聖霊を受けることを求めるようになり、十年間私たちの教派の戦ってきたことを告白しました。彼女は言いました。「私にはこの異言というものが耐えられませんでした。でも、神が今日すべてを解決してくださいました。いま私は聖霊のバプテスマを求めています。」恵み深い主は御霊のバプテスマを彼女に与えてくださいました。
聖霊が来られるのは人がきよめられたときです。古い生活が取り除かれなければなりません。内側がきよめられていないにもかかわらず聖霊のバプテスマを受けた人は、これまで一人も見たことがありません。
あるとき集会で、バプテスマを求めている男性がいたのを覚えています。彼は何か問題を抱えているようでした。そわそわしていて、やっと私に話しかけました。「行かねばなりません。」私は「どうしたんですか」と言いました。彼はこう言いました。「神が私に隠れた事柄を明らかにされました。それで私は打ちひしがれています。」私は言いました。「間違いをすべて悔い改めてください。」彼は待ち望み続け、主が彼の心を探り続けてくださいました。御霊に満たされることを求めて人が神を待ち望むこの時間は、神にとってはその人の心を探り、ご支配を取り戻そうとする時間です。あとになってその男性が私に言いました。「私にはしなければならない難しいことがあります。今までにしたことのない最も難しいことです。」私は彼に言いました。「あなたのしようとすることを主に話してください。結果を絶対に思い悩まないでください。」彼は同意しました。翌朝、彼はお金を詰めたバッグを持って、彼が会わなければならない人たちのところへ三十マイルの道を行きました。この人は百頭もの牛を飼っていて、餌をある場所で買い付けていました。毎回決まった期日に請求金額を払っていましたが、ある日、ミスがありました。彼はいつも期日通りに請求の支払いをしていたので、彼の牧場の人たちがあとで帳簿を確認したとき、お金の面で彼は信用できるから自分たちのほうがミスしたに違いないと思って、彼に領収書を送りました。その男性は支払いを逃れる意図はゆめゆめありませんでした。しかし、正しいことをするのを引き延ばしにすると、悪魔がそれをするチャンスを失うようにけしかけてくるものです。その男性が主を求めたその夜に、主はこの点で彼を取り扱ってくださいました。彼は翌朝、ものごとをまっすぐに直しに行かなければなりませんでした。彼がきちんと支払いをすると、主は彼に御霊でバプテスマを授けてくださいました。主の器にふさわしい者は、きよめられ、聖でなければなりません。
聖霊が来られるときにはいつもキリストの豊かな啓示を与えます。キリストの存在があなたのなかで現実のものとなるので、御霊の力の下であなたが神への愛と賛美を言い表し始めるとき、知らず知らずのうちに自分が異言を話していることに気づきます。ああ、素晴らしいことです!
以前、私は、異言が伴わない聖霊のバプテスマというものを受けたと信じる人たちのグループに所属していました。そういう人たちは今日でもたくさんいます。彼らと祈り会に行く機会があれば分かりますが、彼らは聖霊によってバプテスマを受けることを何度も繰り返し主に求めています。もし彼らが本当に聖霊のバプテスマを受けたのなら、どうしてそんなにも求めるのでしょうか。聖書にもともと書いてあるパターンで聖霊のバプテスマを受けた人が、主に聖霊をくださいと求めるのを私は聞いたことがありません。彼らは主が来られたことの確実さを知っています。
私が前にベルギーからイギリスに旅行していたときのことです。イギリスに上陸すると、ハーウィッチとコルチェスターの間にある場所で止まってほしいという要望をもらいました。そこの人々は神が私を送ってくださったと言って非常に喜び、特別に祈ってもらいたいことがあると言いました。「主を信じる兄弟がここにいるのですが、腰から下が麻痺しています。自分の足で立つことができない状態が二十年も続いています。」私はこの男性のもとに案内されました。彼が椅子に座っているのを見ると、ひとつ質問を彼にしました。「あなたの心にある最大の望みは何ですか。」彼は「ああ、私は何よりもただ聖霊を受けたいです!」と答えました。私はその答えにいくらか驚きましたが、両手を彼の頭に置いて、言いました。「聖霊を受けなさい。」瞬間的に神の力が彼に下り、彼の呼吸が非常に深くなり始めました。彼は椅子からどさっと落ち、その場でじゃがいもの袋のように倒れました。文字通りピクリとも動きません。私は神のなさることが好きです。神が働いておられるのを見たいです。その場所で彼のずんぐりむっくりした体の上で、頭が回転台に載っているように回っていました。それから、喜ばしいことに、彼は異言を話し始めました。私は目をこらして彼を見守り、彼の足の状態を見て言いました。「この足ではこんなに大きな体を支えられない。」それから天を見上げて言いました。「主よ。何をすべきか教えてください。」聖霊はイエス・キリストと父なる神のみこころの行政官です。
神のみこころをあなたが知りたいなら、あなたに対する神の現在のお考えを聖霊に知らせていただき、いま何をすべきかを教えていただかなければなりません。主は私に言われました。「わたしの名によって、彼に歩くように命じなさい。」でも、私はそれをしませんでした。当然です。私はそこにいる人たちに言いました。「彼を持ち上げられるかどうか試してみましょう。」彼は持ち上がりませんでした。一トンもの体重があるかのような重さでした。私は叫びました。「ああ主よ、お赦しください。」間違いをおかしたことを悔い改めると、主は再び私に言われました。「彼に歩くように命じなさい。」私は彼に「イエスの御名によって立ち上がりなさい」と言いました。彼の足は直ちに強められました。彼は歩いたでしょうか。彼は走り回ったのです。一ヶ月経つと、彼は十マイルの道を徒歩で往復するまでになりました。彼は現在、ペンテコステ運動の働きをしています。聖霊の力が現れるとき、事が起こります。