スミス・ウィグルスワース『勝利する信仰』

(二) 尊い信仰

聖書朗読:ペテロの手紙第二、一章一節~八節

私たちの理解は鈍くなっています。この世の心づかいで私たちの目がふさがれることがあまりに多いからです。しかし、私たちが神に目を開くことができるなら、今まで過去に見てきたものが足元に及ばないほどの偉大な神のご計画が、私たちの未来のために用意されているということを理解するでしょう。私たちにはとうてい不可能に思えるようなことを可能にするのが、神の大きな喜びです。神だけが通行権をもつ場所に私たちがたどり着くとき、もやに覆われて誤解させられていたあらゆることが晴れ上がります。

ペテロの書いている同一の尊い信仰は、神が私たち全員に気前よく与えようとしておられる賜物です。そして神はそれを受け取るよう私たちに願っておられると、私は信じています。それは、私たちが国々を征服し、義の働きをし、時が来れば獅子の口をふさぐことができるようになるためです。どんな状況にあっても私たちは勝利を収めることができます。なぜなら、私たちは自分自身を省みてもまったく自信がありませんが、ただ神にあってのみ自信があるからです。良い報告を持ち帰り、決してつぶやかず、勝利の場所にいて、人間の秩序ではなく神の秩序にとどまるのは、いつでも、信仰に満たされた人々です。神ご自身が彼らのうちに来て宿ってくださったからです。

この同一の尊い信仰は、すべての人のためのものです。けれども、あなたのたましいのなかには神に取り扱っていただかなければならない障害があるかもしれません。私が陶器師の器のように砕かれるまでに、私のたましいの上に千個もの自動車のエンジンが載せられているように感じました。砕かれたたましいほど神の深みに入る道はほかにありません。神の御力に入る道はほかにありません。神は、私たちが願うこと思うことのすべてをはるかに超えて、豊かに私たちのために与えてくださいます。

私は神をみことばによって理解します。印象や感覚によっては理解できません。感情によっては神を知ることはできません。私が神を知るようになるとすれば、みことばによって神を知ることになります。私は自分が天国に行くことを知っていますが、きっと天国に行くだろうなという私の感覚がその根拠になっているのではありません。私が天国に行くのは、神のことばがそう言っているからです。私は神のことばを信じています。そして「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ一〇・一七)

マルコの福音書十一章二十四節にこうあります。「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」直前の節は山を動かすこと、つまり困難を取り除く話をしています。うわべを取り繕っても何にもなりません。現実を、私たちの神の現実に働かれることを求めなければなりません。私たちは神を知らなければなりません。神との話し合いのなかに入り、それを維持できなければなりません。また、神に対するすべての申し立てがいつもみこころにかなったものとなるように、私たちに向けられた神のみこころをも知らなければなりません。

この同一の尊い信仰があなたの一部になるにつれて、その信仰に促されてあなたは大胆に何でもするようになります。どうか覚えていてください。神は大胆な人を求めておられます。あらゆることに対して大胆な人、神にあって強められ、大胆に偉業を成し遂げる人を求めておられます。どうやって私たちはこの信仰のレベルに達するのでしょうか。あなたの自分なりの考えを遠くに行かせ、神の考えである神のことばを引き寄せましょう。あなたがみずからを空想によって建て上げるなら、間違った方向に行くことになります。あなたは神のことばをつかんでいれば、それで十分です。ある人がみことばに関して次のような特筆に値する証をしました。「この聖書はほかの書物と比較になりません。比較は危険です。聖書は神のことばなのです。聖書は起源において超自然的、期限において永遠、価値において計りがたく、射程において無限、力において人を回心に導き、権威において無謬、重要さにおいて普遍的、適用において個人的、全体において神の霊感が与えられています。聖書をはじめから終わりまで読みなさい。聖書のことばを書きなさい。聖書のことばで祈りなさい。聖書をよく理解するよう努めなさい。それから聖書を伝えなさい。」

そしてじっさいに、神のことばは人を変えます。彼が神の手紙になるまでに変えます。神のことばは人の心を一新し、彼の人格を変え、恵みから恵みへと至らせ、混じり気のない神のご性質の相続人とならせます。神のことばに心を開き、みことばに霊感を吹き込んでいる御霊をその心に受け取る人のなかに、神は来られ、歩み、彼を通して語られ、食事を共にしてくださいます。

私がニュージーランドのほうに出発したとき、たくさんの人たちが私を見送ってくれました。港に向かう車中で、インド人医師と同席しました。彼は寡黙で、言われるままに船に荷物を運び入れました。私は福音を語り始めました。もちろん、主が人々の間で働き始めてくださいました。船のセカンドクラスのフロアで若い男とその妻がいました。ふたりはファーストクラスの貴婦人と紳士の従者をしていました。私はこのふたりの若者たちに個人的にも公の場でも話をしました。ふたりはそれを聞いて、非常に感銘を受けました。そのとき彼らが仕えている貴婦人がひどい病気になりました。彼女は病気と孤独のなかで安らぎを得られませんでした。ふたりは医者を呼びましたが、医者は彼女になんの希望も与えませんでした。

それから、奇妙なジレンマが発覚しました。貴婦人は立派なクリスチャン・サイエンスの信者で、その宣教のためにあちこちを巡っていました。このジレンマのさなかで、彼らは私のことを思い出しました。私は彼女の病状を知り、彼女が何のために生きているかを知り、もう日も遅く、彼女の心の状態からすると一番シンプルな言葉しか通じないと分かって、こう言いました。「今あなたはひどい病気にかかっています。この病から救うためにあなたに話はしません。あなたのためにイエスの御名で祈ります。そして私が祈ると瞬間的にあなたは癒されます。」

私が祈った瞬間に、彼女は癒されました。これが同一の尊い信仰の働きです。そのとき彼女は動揺しました。すぐにも私は油を注ぎ込むことができる状態にありました。でも、私はできるかぎり苦い薬を注ぎ込みました。三日間、彼女を燃えかすのなかに置いておきました。私は彼女が恐ろしい状態にあるということを本人に教えました。彼女のいる場所がまったく愚かであり間違った考えでいっぱいになっている指摘しました。クリスチャン・サイエンスには何もなく、それは始めから嘘で、地獄からの最後の使者の一人からきているものだと示しました。控え目に言っても嘘にすぎず、嘘を宣べ伝え、嘘を生み出しています。

それから、彼女は目覚めました。非常に忍耐強くなり、心が砕かれました。しかし、彼女をはじめに駆り立てたものは、彼女がこれまでクリスチャン・サイエンスを宣べ伝えていた場所に、キリストのシンプルな福音を伝えに行くことでした。彼女は私に、あるものを捨てなければならないでしょうかと尋ねました。私はその「あるもの」が何であるか明言しません。それは吐き気をもよおす不快なものですから。私は言いました。「あなたがしなければならないことはイエスさまを見ること、イエスさまを選び取ることです。」彼女がイエスさまをそのきよさにおいて見たとき、ほかのものは出て行かなければなりませんでした。イエスさまがおられるところ、ほかのすべては去ります。

この出来事がドアを開きました。私は船にいるすべての人に福音を語らなければならなくなりました。このことで私は機会を得たのです。私が福音を語ると、神の御力が下り、罪の確信が来て、罪人たちが救われました。人々が次から次へと私の客室にまでついてきました。神がそこで働いてくださいました。

そのとき、このインド人医師が来ました。彼は「これからどうなるのでしょうか。もう私はこれ以上、薬を使えません」と言いました。「なぜですか。」「あなたのメッセージが私を変えたのです。でも私には基礎が必要です。いくらか一緒に過ごすお時間をいただけますか。」「もちろんです。」それから私たちはふたりきりで行きました。神が不毛の土地を破壊してくださいました。このインド人医師は新しい秩序のもとで、もとのインド人の状態に立ち返っていきました。彼はそこに医師の仕事を置き去りにしました。彼はもともとしていた素晴らしい仕事のことを私に話しました。彼はイエスさまを宣べ伝えるというもとの仕事に立ち返ったのです。

あなたが神への飢えを失ったなら、もっと神を求めて叫ぶことをしないなら、あなたは神の計画から外れつつあります。神以外の何ものによっても満たされない叫びが、私たちのうちから湧き上がらなければなりません。神は私たちに栄誉の幻を与えようとされています。それは、私たちがこれまで獲得したものよりも高いところにあるものです。あなたがある地点で立ち往生するなら、失敗した場所からやり直し、再生の光と天の御力のもとで再開してください。神はあなたに会ってくださいます。神があなたに自分自身の弱さを意識させ、砕かれたたましいになるよう導かれるなら、あなたの信仰は神ご自身と神のすべての供給源をしっかりとつかみ、神の光とあわれみがあなたを通して現されます。そして神が雨を送ってくださいます。

私たちはもう一度、神に自分を捧げようではありませんか。ある人は「私は昨晩、神に自分を捧げました」と言いますが。

新しい啓示はいつも新しい献身をもたらします。神を求めましょう。