スミス・ウィグルスワース『いつまでも増し続ける信仰』

(五) わたしは主、あなたをいやす者である

「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」(ヤコブ五・一四〜一五)

この尊いみことばの中に、いやしの真理の基礎となっている本物の土台があります。この聖句の中で神は病人に明確な命令を与えています。もしあなたが病気なら、あなたの役割は教会の年長者を招くことです。そして、彼らの役割はあなたのために信仰によって祈り、油を塗ることです。そうして状況全体は主が責任を持って下さいます。あなたが油を塗って祈ってもらうなら、主が起き上がらせて下さるのだとあなたは安心できます。これは神のことばなのです。

教会がこの役目を果たせずにいることは、誰の目にも明らかであると思います。この明確な命令を無視することは極めて危険な状態です。この命令に従うのを拒否する人は、言葉を絶する損失を被っていることになります。

ヤコブはこのことに関連して次のように書いています。「あなたがたのうちに、真理から迷いでた者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。」(ヤコブ五・一九〜二〇)多くの人が主を無視しています。それはアサ王のようです。彼は病気にかかっても、主を求めずに医者に求めました。その結果、彼は死にました(第二歴代誌一六・一二)。だから私はこの箇所を取り上げたのです。この箇所で言われているのは、もし人が誰かを説き伏せて主に立ち返らせるなら、その人は罪人を死から救い出すのだということです。神は彼らの犯した多くの罪を赦して下さいます。この聖句は救いに関する他の面についても応用できます。神の真理から踏み外すなら、それが救いに関するどんな部分であっても、敵はその人に対して間違いなく有利な立場になります。

いやしのために主を見上げて、ヤコブの手紙に書かれた命令に従う人々に、主は会って下さるでしょうか。そうです。これよりも確かなことはありません。最も極端な状況を主がどのように引き受けて下さるのかを知っていただくために、一つお話をさせてください。

以前、私がある病人のところを訪問した時のことです。その病人は、建築家をしている私の友人と一緒にいました。建築オフィスから若い男性が車で走って来てました。手には電報を握っていました。私はその電報で病人のことを知りました。電報には、死にかけている人がいるのですぐに来て祈って欲しいという非常に緊急の依頼が書かれてありました。私たちは車で出発し、できる限り急いで運転しました。およそ一時間半で、死にかけている男性の住む家に到着しました。国内でもかなり大きな家でした。家には二つの階段があって、極めて好都合でした。というのも、医者たちが一つの階段を使い、私たちは別の階段で昇り降りをしたので、私たちは顔を合わせる機会がありませんでした。

到着すると、この状況はヤコブ五章のケースだと分かりました。病人のからだは酷い状態でした。脱腸(鼠径ヘルニア)が進行していて、腸は二カ所、穴が開いていました。穴が開いた箇所は腫れていて、敗血症になっていました。男性の顔色は緑でした。二人の医者が診ましたが、こうなるともう彼らにはなすすべがありませんでした。彼らはロンドンの専門医に電報を打ち、私たちが到着した時には彼らは専門医が来るのを駅で待っているところでした。

死が間近なこの男性は話すこともできませんでした。私は彼の夫人に言いました。「ご希望でしたら、彼のために油を塗って祈らせて下さい。」夫人は「電報を送ったのはそうしていただくためです」と言いました。私は彼に油を塗って、イエスの御名によって彼を立ち上がらせてくださるように主に求めました。見かけ上は、何も変化がありませんでした。(神は、ご自分でされていることを隠される場合があります。集会で祈って何かが起きたと聞かなくても、日が経つにつれてそこで起きたいやしの知らせが届くことがあります。つい先日、ひどく苦しんでいる女性が集会に参加しました。腕全体が毒に冒されていました。血液も毒に冒されていて、そのせいで女性がまもなく死んでしまうことは明白でした。私たちは問題を叱りつけました。今朝、彼女はここに来て、痛みがなくなって夜はぐっすり眠れたことを知らせてくれました。二ヶ月間そんな状態はなかったのです。まことに神をほめたたえます。主はこの種のことをいつでもなさいます。)

この兄弟に油を塗って祈ってからすぐに、私たちは後ろの階段から降りました。そして三人の医者が前の階段から昇ってきました。下の階に降りてから私は一緒に来た友人に言いました。「友よ。手を握らせてください。」私たちは互いの手をとって、続けて私は言いました。「私の顔を見て下さい。二人で同意しましょう。マタイの一八章一九節によれば、この男性は死から救われることになります。」すべての事柄を神にゆだねて、「父よ。信じます」と私たちは言いました。

それからが戦いでした。夫人が階段を降りてきて言いました。「お医者様がたが道具を取り出して手術を今にも始めようとしています。」私は大声をあげました。「何ですって。さあ、彼はあなたの旦那でしょう。いいですか。彼らが手術をしたら旦那は亡くなりますよ。戻って彼らに手術を許可しないと言ってください。」夫人は階段を上って医者に告げました。「十分間だけ待って下さい。」医者は言いました。「そんな余裕はありません。この人は死にかかっています。あなたの旦那の最後のチャンスなんですよ。」夫人は言いました。「十分間だけ下さい。十分経つまで、夫のからだに触れないで下さい。」

医者たちは一方の階段で下に降り、私たちはもう一方の階段で上に昇りました。私は夫人に言いました。「この人はあなたの夫です。彼は自分で話すことができません。今は、あなたが神に全幅の信頼を寄せて、あなたが主こそ完全に真実な方だと証明する時です。あなたは夫を千人の医者から救うことができます。あなたはこの生死のかかわる時間、神と共に、神のために立っていなくてはいけません。」その後で私たちは降り、医者が上がってきました。夫人はこの三人の医者の前で言いました。「この人のからだには絶対に触れないでください。私には分かっています。もし夫を手術すれば死にます。でも、もし夫に触れなければ、夫は生きます。」

突然、ベッドの夫が話しました。「神がして下さった」と言いました。医者がベッドクロスをめくって調べると、腫れ物はきれいに切り取られていました。看護の者が腫瘍のあった場所を拭きました。腸はまだお腹から見えていたので医者たちは夫人に言いました。「あなたが立派な信仰を持っておられることはわかりました。そして素晴らしい奇跡が起きたことも見て取れます。でも、この破れた箇所だけは接合して銀のチューブを入れるのだけはさせて下さい。そうすればあなたの旦那は完全に良くなります。それをするためにあなたの信仰を邪魔する必要は全然ないでしょう。」夫人は言いました。「神が最初のことをされました。ですから残りのことも神はおできになります。今は誰も夫に触れてはいけません。」そして、神はすべてをいやされました。その男性は今も元気でピンピンしています。お望みでしたらどなたにでも、彼の名前と住所を教えることができます。

何の力によってこのことがなされたのでしょうか。ペテロのことばの中に答えがあります。「このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。」(使徒三・一六)油注ぎは主の御名の中にあります。こうも書かれています。「主はその人を立たせてくださいます。」(ヤコブ五・一五)主は二重の回復を与えられます。たとえ罪がその病気の原因だったとしても、神のことばはこう宣言するのです。「もし、その人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」

こう尋ねる人もいるでしょう。「信仰とは何でしょうか。」信仰は、神のことばの原理です。みことばに霊感を与えた聖霊は、真理の御霊と呼ばれています。そして、私たちが心に植えつけられたみことばを素直に受け入れるなら、信仰が心の中から湧き出てくるのです。カルバリでの捧げ物を信じる信仰。イエスさまの流された血を信じる信仰。主が私たちの弱さをご自分の身に背負われて、私たちの病を負われ、私たちの痛みをになわれたことが事実であると信じる信仰。そして、主が今日でも私たちのいのちとなって下さるという信仰が湧いてくるのです。

神が私たちを選ばれたのは、お互いに助け合うためです。私たちには孤立無援で働く勇気はありません。主は私たちがお互いに仕えるところにまで導いで下さいます。このことを私たちが拒むなら、神のことばから外れ、信仰から外れてしまいます。私はかつて孤立に陥ったことがありましたが、もう二度とそうはなりません。一度、私はある集会に行きました。私はひどい病気にかかっており、ますます悪くなるばかりでした。神の完全なみこころは私がへりくだって年長者に祈ってもらうようにお願いすることだと私には分かっていました。しかし、もたもたしていると集会は閉会になりました。私は油を塗ってもらうことも祈ってもらうこともなく帰りました。すると家中の者が私の苦しんでいる病に感染してしまいました。

私の子どもたちは、家族の医者でもある主に信頼することのほか何も知りませんでした。一番小さなジョージが屋根裏部屋から泣き叫んで、「パパ! 来て!」と言いました。私は叫びました。「行けないよ。全部パパから来ているんだ。パパが悔い改めて神さまに赦してもらわないといけないんだよ。」私は教会全体の前にへりくだることを心に決めました。それから私は屋根裏部屋に駆け上がって、イエスの御名によってジョージに両手を置きました。この子の頭に手を置くと、痛みはだんだんとからだの下の方にさがっていきました。ジョージは「もっと下の方に手を置いて!」と叫びました。やっと痛みが足まで下がっていって、足に手を置くと、ジョージは痛みから完全に解放されました。明らかに悪しき力が縛り付けていたので、手を置くからだの部分をいろいろと変えると、症状が去りました。(私たちは病人に油を塗ることと、悪魔を追い出すことを区別する必要があります。)私たちが神の前にへりくだって、砕かれた霊に至る時、神はいつでも恵み深くあられます。

あるところで私が病気の女性にミニストリーをしていた時のことです。彼女は言いました。「私の病気はひどいんです。一時間だけ良くなっても、すぐに別の症状が出てきます。」彼女を攻撃しているのは悪しき力だと分かりました。私はその時、それまでに学んだことのなかった事柄を学びました。彼女のからだにイエスの御名によって手を置き、その手を動かすと、悪しき力が私の手の前をちょうど逃げて移動するようでした。私が手を下の方へどんどん移動させていくと、悪しき力はスッと彼女のからだから出て行き、二度と戻りませんでした。

フランスのルーブルでのことです。神の力が力強く現れました。ギリシャ人でフェリックスという名前の男性が集会に参加して、神に対してとても熱心になりました。彼はできるならすべてのカトリック信徒にこの集会に参加してもらい、神がフランスに恵みをもって訪ねておられることを知ってほしいと願っていました。彼はベッドで寝たきりのある夫人と出会いました。夫人の姿勢は固定されていて、動けませんでした。彼はその集会での主のいやしについて夫人に話し、夫人が願うなら私をそこに連れて来ると伝えました。夫人は言いました。「私の夫はカトリックです。夫はカトリックでない人とは決して会わせてくれません。」

夫人は夫に私が来るのを許してもらうようにお願いしました。私たちのあいだで働かれる神の力について、フェリックスが話した内容も夫に話しました。夫は言いました。「ペンテコステ派の人は家に入れたくない。」夫人は言いました。「ご存知の通り、お医者様も私を治せませんし、司祭様も治せません。この神の人に祈ってもらうのはいけませんか。」夫はついに承諾して、私はその家に行きました。この女性の実直さと、彼女の子どものような信仰を見るのは美しいことでした。

私は油の瓶を夫人に見せて言いました。「ここに油があります。これは聖霊の象徴です。油があなたに注がれると、聖霊が働き始めます。そして主があなたを立たせて下さいます。」夫人に油を注ぐと、神が何かをして下さいました。私が窓の方を見ると、イエスさまがそこにおられました。(たびたび私はイエスさまを見ました。イエスさまを描いた絵画にはどれ一つとしてイエスさまに似たものはありません。どんな芸術家でも私の麗しい主の美しさを描き出すことはできません。)夫人は神の力をからだの中に感じて、叫びました。「私は自由です。手が自由です。肩が自由です。ああ、私はイエスさまを見ました! 私は自由です! 私は自由です!」

幻が消えて夫人はベッドの上に座りました。彼女の足はまだ治っていませんでした。そこで私は言いました。「手を足の上に置きましょう。そうすれば完全に自由になります。」そして私が両手をベッドクロスのかけられた足に置くと、再びイエスさまが現れました。夫人もイエスさまを見て叫びました。「主がまたおられます。私は自由です! 私は自由です!」夫人はベッドから立ち上がって部屋の中を歩きまわり、神を賛美しました。主の素晴らしい御業を見せられた私たちは皆、涙を流しました。条件さえかなえば、主は病人を立たせて下さいます。

神に対してとても熱心なお金持ちの男性のところに私は訪れました。彼は多くのお金を人命救助のミッションを開始するために費やしていました。彼に、私と一緒にある人のいやしに行くようにお願いしました。彼は言いました。「私のことは構わないで下さい。あなたはあなたでやってください。でも私はこの種の働きに関与しません。」それから私は、何時間も祈りのできるある男性のことを考えました。彼がひざまずいて祈っていると、世界を三度も行き巡って、それからもとの場所に戻ってくるようなことが起こる人でした。彼に私と一緒にいやしに行くようにお願いして、こう言いました。「今回は本当にチャンスだよ。祈り通して、そして祈りが終わったら止めてほしい。」(祈り通すことが終わっても、まだ祈っている人が時々います。)

彼の名前はニコルスです。ニコルス兄弟が私と一緒に行ってくれることになり、病人の家で祈り始めました。彼が主にこう祈りました。これから夫は妻に先立たれ、子どもたちは母を失うことになりますが、彼らを主が慰めて下さいますように。私は叫びました。「ああ、神よ、この人を止めてください。」でも彼は祈りを止めずに続けました。彼の口から出る言葉には信仰のかけらもありませんでした。彼がやっとのことで祈り終えると、私は言いました。「クラーク兄弟、今度はあなたが祈る番です。」彼は祈り始めました。「主よ。私の兄弟の祈りに答えて、家内に先立たれる私の悲しみを慰めてください。これから直面する大きな試練のために私を整えてください。」私はまた叫びました。「神よ、この人を止めて下さい。」その場の雰囲気が不信仰で満たされていました。

私は油の瓶を取って病気の女性に近づき、イエスの御名によって油を余すことなく注ぎました。突然、イエスさまが現れて、ベッドの足元に立っておられました。主は微笑まれ、そして幻は消えました。女性は立ち上がり、完全にいやされました。彼女は今も元気に生きています。

私たちには偉大な神がおられます。素晴らしいイエスさまがおられます。栄光ある助け主がおられます。神の天蓋があなたの上にあり、いつでもあなたを悪から守って覆っています。あなたは御翼の下に身を避けます。神のことばは生きていて力があり、その宝の中に永遠のいのちを見いだすことができます。あなたが大胆にこの素晴らしい主、いのちの主に信頼するなら、キリストの中にあなたの必要なすべてのものを見いだすことでしょう。

あまりに多くの人が薬物、やぶ医者、錠剤、軟膏などに手を出しています。それらはすべて空にして、神を信じて下さい。神を信じれば十分です。主に信頼するなら主は決して裏切られないことをあなたは知るでしょう。「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。」主を信頼しますか。主は信頼するに値する方です。

ウェスタン・スーパー・メアというイングランド西部にある海辺のリゾート地に呼ばれた時のことです。私は電報を通して、ある男性が正気を失って、うわ言を叫び続ける錯乱状態にあることを知りました。それで人々が彼のために祈ってほしいと私に知らせてきました。私がそこに到着すると、彼の夫人が私に言いました。「夫と同じ部屋で寝ていただけますか。」私はそうすることにしました。夜中になると彼に悪の力が及びました。それはひどいものでした。彼の頭に手を置くと、髪がたくさんの棒のようになって逆立っていました。神が解放を与えて下さいました。ただし、一時的な解放です。翌朝の六時になると、私は少しの時間、この家から出る必要があると感じました。

男性は私を見つめて叫びました。「私から離れるなら、希望がもうなくなります。」でも私は行かなくてはいけないと感じました。外に出ると、救世軍の帽子をかぶった女性を見つけました。彼女は朝七時の祈り会に行くところだと分かりました。そこで私は、祈り会で賛美が始まる直前に、その会を仕切っているキャプテンに声をかけました。「キャプテン、歌はいいです。祈りましょう。」彼はそうすることにしました。私は心を注ぎ出して祈りました。それから私は帽子を取って外に走って行きました。その場にいた人たちは皆、朝の祈り会に変な人が来たと思ったことでしょう。

私と一緒に夜を過ごした男性が、海の方に走っていました。衣服は身につけていませんでした。そして今にも海に飛び込んで溺れそうでした。私は叫びました。「イエスの御名によって、彼から出て行け!」男性は地面にばたりと倒れ、悪の力は彼から出て行き、二度と戻りませんでした。夫人が彼を追いかけて駆け寄り、彼は完全に精神が正常になって妻を出迎えました。

悪の力は実在します。けれどもイエスさまはあらゆる悪の力よりも力強いのです。途方もなく多くの病気があります。けれどもイエスさまは癒し主です。主にとって難しく不可能なことはありません。ユダ族から出た獅子なる方がすべての鎖を打ち砕きます。主が来られたのは、しいたげられている人々を自由にし、捕らわれ人を解放するためです。主が来られたのは、贖いのため、私たちを堕落する前の人間と同じように完全な者とするためです。

人々が知りたがっているのは、どうやって神の力にとどまることができるかということです。あなたが導き入れられる恵みの座、すなわち、赦し、いやし、あらゆる種類の解放をサタンが奪い取ろうとしてきます。サタンはあなたのからだに挑んできます。あなたが救われる時、サタンが歩き回って来て言います。「ほら、お前は救われていないんだ。」悪魔は嘘つきです。悪魔が救われていないと言うのなら、それはあなたが救われていることの確かな証拠です。

掃除してきちんと片付いた家にたとえられた男の話を覚えておられるでしょう。悪い霊が彼から出て行きました。しかしその男は以前と変わらない生活のままでした。主があなたをいやされるなら、以前と変わらない生活を続けてはいけないのです。悪霊がその男のところに戻ると、家が掃除してあったので、自分よりも悪い他の七つの霊を連れて来ます。すると後の状態ははじめの状態よりも悪くなります。必ず神に満たされて下さい。内に住んでくださる方をお迎えして下さい。御霊に満たされて下さい。

神はご自身のもとに来る人々の救いを引き受ける方法を百万通りも持っておられます。主はどんな捕らわれ人でも解放できる方です。主はあなたのことを深く愛されているので、「彼らが私を呼ぶ前に、私は答える」とさえ言われます。神を遠くに追いやらないで下さい。