スミス・ウィグルスワース『いつまでも増し続ける信仰』

(二) 捕らわれ人の解放

テキスト ルカ四・一〜二〇

私たちの尊い主イエスさまはすべての人のためにすべてのものを持っておられます。罪のゆるし、病気のいやし、そして聖霊の満たしはすべて一つの源から来ます。それが主イエス・キリストです。きのうもきょうも、いつまでも同じであられる方のことばを聞いて下さい。主はご自分が来られた目的をこのように宣言されます。「私の上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」(ルカ四・一八〜一九)

イエスさまがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられると、聖霊が鳩のような形をして主の上に下られました。聖霊に満たされたイエスさまは、聖霊に導かれて荒野に行き、そこで敵に対して圧倒的な勝利者となられました。それからイエスさまは御霊の力をおびてガラリヤに戻り、会堂で宣べ伝え、ついにイエスさまの故郷の町ナザレに来られました。主はナザレで、先に引用したみことばでご自分の使命を宣言されたのです。イエスさまは地上でほんのわずかな期間の働きをされ、それからご自分のいのちをすべての人のために贖いの対価として与えられました。しかし、神はイエスさまを死者の中からよみがえらせました。そして、主は弟子たちに、聖霊の力が彼らの上にも臨まれるので、聖霊を受けるようにと言われました。その後、主は天に上げられ栄光を受けられました。こうして弟子たちを通して主の恵みの働きは続いたのです。この聖霊の力は数人の使徒たちのためだけではなく、「すべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々」(使徒二・三九)のため、この二十世紀に生きる私たちのためにも与えられました。ある人はこう尋ねます。「でもこの力は、特権にあずかった一世紀のわずかな人々に与えられただけではないでしょうか。」そうではありません。マルコの福音書に記されている主の大宣教命令を読んで下さい。そこには御力は「信じる人々」(マルコ一六・一七)のためだとあります。

私は聖霊のバプテスマを受けた後で(私はそれを受けたことを知っています。というのも、主がエルサレムで弟子たちに聖霊を授けたのとちょうど同じ方法で、私に聖霊を与えて下さったからです)、どうして私が聖霊のバプテスマを受けたのか、主の考えておられることを求めました。ある日、私は仕事を終えて帰宅すると、妻が私に聞きました。「どちらのドアから家に入りましたか。」私は家の後ろのドアから入ったと言いました。妻は言いました。「二階に、女性が八十歳の老人を連れてきています。祈ってもらいたいそうです。老人が大声でひどいうわごとを言っているので、大勢の人が家の前に集まってきました。ドアベルを鳴らして、家の中で何が起きているのかを知りたがっています。」主は私に「このためにあなたにバプテスマを授けたのだ」とささやかれました。

私はその老人がいる部屋の前に行き、主が私に言われることに従おうと心に願いながら慎重にドアノブを回しました。老人は苦しそうに泣き叫んでいました。「救いを失った! もう救いを失った! ゆるされない罪を犯してしまった! 救いを失った! 救いを失った!」妻は言いました。「お父さん、どうしましょうか。」主の御霊が私をつき動かし、私は大声で言いました。「そこにいる霊は出ていけ。」その瞬間に悪霊は出ていきました。主は「このためにあなたにバプテスマを授けたのだ」と私に言われました。

神が聖霊の力を通して私たちの生活の主権者として治める場所があります。御霊が啓示し、目の覆いを取り、キリストに関する事柄を教え、悪魔の力に対して圧倒的な勝利者となるように私たちを整えて下さいます。

ニコデモがイエスさまのもとに来て、言いました。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」イエスは答えて言われました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ三・二〜三)ニコデモはしるしが行われるのを見て深く印象づけられました。そしてイエスさまは御国を見るすべての者にしるしが伴うことを指摘されました。人が神によって生まれ、闇から光に移される時に、力強いしるしが働きます。イエスさまは、神が触れられるなら、いつもしるしが伴うのをご覧になりました。ですから、しるしが今日にも起きることを私たちも期待して良いのです。私たちの上に主の御霊が臨まれるのは素晴らしいことです。私にとっては百万ドルをもらうよりも、神の御霊が五分間でも私の上に臨まれるほうがずっと良いです。

イエスさまが荒野でどうやって悪魔に打ち勝ったかご存知ですか。主はご自分が神の子であることを知っていました。ですから、サタンは「もしかしたら」とささやく手口でやって来ました。あなたのもとにもサタンは同じ手口で幾たび来たことでしょうか。サタンは言います。「結局、あなたは騙されているのかもしれない。あなたは本当は神の子どもなんかではないと分かっているんだろう。」悪魔が来て、あなたは救われていないとささやくなら、それはあなたが救われていることの確かな証拠です。悪魔が来て、あなたはいやされていないとささやくなら、それは主がみことばを送ってあなたをいやしたことの良い証拠ととらえて良いでしょう。悪魔はあなたの生活の中で思考の領域を縛ることができれば、あなたを征服する絶大な勝利を収められるということを知っています。悪魔の主要な仕事は思考を邪魔することです。でも、あなたが純粋できよくあれば、あなたは瞬間的に悪魔を退けることができます。神が私たちに願われているのは、キリストのうちにある心、純粋で、きよく、へりくだったキリストの心を私たちが持つことです。

私はどこに行っても悪魔の欺きで縛り付けられている人々に出会います。この状態が起きる理由は、悪魔が心の中に要塞を作ることを、ただ単に人々が自分で許可しているためです。どうしたらこの攻撃から身を守ることができるのでしょうか。主は私たちに、神の御前で要塞をも破るほどに力のある武器を下さいました。その武器によってすべての思考を捕虜にしてキリストに服従させるのです。イエス・キリストの血とイエスの力強い御名こそが、あなたの思考のなかに悪魔が蒔く、不信仰の小さな種を打ち消してくれる解毒剤なのです。

使徒の働きの一章には、イエスさまが弟子たちに父の約束を待つように命じられたとあります。「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒一・五)と弟子たちに言われました。ルカは前の報告書で、イエスさまが行いと教えを始められたすべてのことについて書いたと述べています(使徒一・一)。キリストの働きは十字架で終わりではありませんでした。キリストが人の中に住まわることで、その行いと教えは人々を通して続いたことが使徒の働きや書簡から分かります。そして私たちのほめたたえる主イエスさまは今も生きておられ、主の御霊に満たされた人々を通してその働きを続けておられます。主は御霊を上に置いた人々を通して、今も心の打ち砕かれた人をいやし、捕らわれ人を解放しておられるのです。

ある日、私はスウェーデンを旅行中に電車に乗っていました。ある駅で老婦人が自分の娘を連れて電車に乗り込みました。老婦人の表情があまりに深刻そうだったので、私はどこか具合が悪いのですかと尋ねました。老婦人はこれから病院に行って自分の足を切断する手術を受けるところだと言いました。足を切断する以外にもう希望はないと医者に告げられました、と老婦人は話しながら、すすり泣きを始めました。彼女は七十歳でした。私は通訳者に「イエスさまがあなたをいやすことができる、と彼女に伝えて下さい」と言いました。次の駅で電車が止まると、たくさんの人が電車に乗り込こんでいっぱいになりました。多くの人が勢い良く電車になだれ込んできたので、悪魔が「もうおしまいだな」と言ってきました。しかし、私は最高の信念を持っていることを知っています。それは、困難な物事はいつでも主の栄光をより大きく輝かせるための機会となって、主は御力を現してくださるという信念です。あらゆる試練は祝福です。悪い状況が私を圧迫して、まるで電車が十両も私の上にのしかかっているように感じることが何度もありました。でも私は最も困難な物事こそが神の恵みへと私を運んでくれているのだと発見しました。私たちにはそのような素敵なイエスさまがおられます。主はご自分こそが力強い解放の主であることをいつでも証明されます。主は私たちのために最高のことを計画しておられ、その計画は頓挫することがありえません。

電車が動き始めました。私はしゃがみこんで、イエスの御名によってその病気が去るように命じました。老婦人は大声をあげて、「私はいやされました! いやされたことが分かりました!」と言いました。彼女は足踏みをして、「これからそれを証明します」と言いました。そこで私たちは次の駅で降りました。老婦人はしゃきっとした足取りで歩き回り、「もう私は病院には行きません」と叫びました。今度もまた私たちの素晴らしいイエスさまは、ご自分が心の打ち砕かれた者の癒し主、捕らわれ人の解放の主であることを証明されました。

ある時、私は重い病気にかかり、人間の力ではどうにもならない状態にありました。妻は私が死ぬのを待つほかありませんでした。助けになるものはありませんでした。その当時の私はイエスさまが癒し主でもあることを、かすかにですが感じ取っていました。六ヶ月の間、私は虫垂炎に苦しみましたが、時折、一時的に苦しみが和らぐことがありました。そういう時に私は自分が牧している教会へ働きに出ましたが、ひどい苦痛が始まって床に倒れてしまいました。教会員が私を家に運んでベッドに寝かせてくれました。私は一晩中祈って解放を主張しましたが、何も起こりませんでした。妻は私が召される時が来たと確信し、医者を呼びました。医者は私のからだが弱りすぎているので、もう助かる見込みはないと言いました。虫垂炎を六ヶ月患っていたせいで、私のからだ全体がひどく衰弱していました。そのために医者は手術をするにはもう手遅れと考えたのでした。医者は、うちひしがれた妻をそのままにして帰りました。

医者が帰ってから、私たちの家に若者と老婦人が訪問してきました。その婦人は本物の祈りの人だと私は知っていました。二人は二階に上がって私の部屋に入りました。若い男性がベッドに飛び乗って、汚れた霊に私から出て行くように命じました。彼は叫びました。「悪魔よ、お前は出て行け。イエスの御名によって命じる! 出て行け!」議論をする機会はありませんでした。私は悪魔が自分の中にいることを信じていませんでしたが、そのことを彼に伝える暇はありませんでした。イエスの御名において、必ず事は起こらなくてはなりません。そして現実に事は起こり、私は瞬間的にいやされたのです。

私は起きて着替え、一階に降りました。私はそのころ配管工事の仕事をしていたので、妻に尋ねました。「何か仕事はあるかな。もうすっかり良くなったよ。仕事に行くよ。」やるべき仕事があることが分かったので、私は仕事道具を取って出かけました。私が出て行くと同時に、医者が家に入ってきて、シルクハットを広間の壁にかけ、寝室に上って行きました。でも病人はいませんでした。「ウィグルスワースさんはどこにいるんですか。」医者が尋ねると、「ああ、お医者様。主人は仕事に出ましたよ」と妻が言いました。「あなたはもう二度と生きているご主人を見ることはないでしょうね」と医者は言いました。「彼は死体になってここに運ばれてくるでしょう。」まあ、私は死体になったようですね。

その時以来、世界の至るところで、主は私に虫垂炎におかされている人々のために祈る特権を与えて下さいました。そして、私は実に多くの人々が、祈ってから十五分以内に起き上がって着替えるのを目撃してきました。私たちにはどんな状況でも喜んで人々と会って下さる、生けるキリストがおられるのです。

数十年前にD.W.カー兄弟に会った時のことです。彼はザイオンシティ在住のクックという名の兄弟に宛てた紹介状を私にくれました。クック兄弟宛の手紙を私が受け取ると、彼は「神があなたをここに送られました」と言いました。カー兄弟は私に六人の人の住所を教え、そこに行って彼らのために祈ってきてもらいたいと言いました。その後で十二時に兄弟と再会する手はずになりました。私は祈りを終えて十二時半ごろに戻って来ました。すると彼は私に、次の週に結婚する予定になっている若い男性の話をしました。その男性の婚約者はザイオンシティに住んでいて、虫垂炎で死にかけていました。私がその家に行くとちょうど医者が先刻までいて、もう治る望みがないと告げた後でした。その女性の母親は気も狂わんばかりに自分の髪を引っ張って、「解放なんて起きない」と言っていました。私は母親に、「ご夫人、神を信じて下さい。あなたの娘さんはいやされ、十五分以内に起き上がって、着替えます」と言いました。それでも母親は叫び続けていました。

彼らは私を寝室に連れて行きました。私はその女の子のために祈り、イエスの御名によって悪霊に離れるよう命じました。彼女は叫びました。「私はいやされています!」私は彼女に言いました。「あなたがいやされていることを信じさせてもらえるかな。いやされたのだから、起きてごらんなさい。」十分以内に医者が駆けつけました。医者は何が起きたのかを知りたがっていました。彼女は「男の人が入ってきて私のために祈ってくれました。そうしたら私はいやされました」と言いました。医者は彼女が痛がっていた患部を指で押してみましたが、彼女はうめきもせず泣きもしませんでした。「これは神だ」と彼は認めました。医者が認めようが認めまいが関係ありません。私は神が働かれたことを知っています。私たちの神は現実に救いといやしの力を今日も発揮されます。私たちのイエスさまはまさしく、きのうもきょうも、いつまでも同じです。主は救いといやしをちょうど聖書の時代と同じように今日でも行われます。主はあなたの救い主、あなたの癒し主になりたいと願われているのです!

ああ、あなたが神を信じさえすれば! そうすれば何が起こるでしょうか。最も偉大なみわざです。神の恵みを全く味わったことのない人々や、神の平安を持ったことのない人々がいます。不信仰がこれらの祝福を彼らから奪っているのです。聞いてはいても真理を悟らないことはありえます。みことばを読んではいても、みことばが与えるいのちが実らないこともありえます。私たちに必要なのは、聖霊にみことばへの戸を開いていただき、キリストにあるいのちが私たちの内に生きるようにしていただくことです。私たちが聖霊に満たされるまでは、この贖いの不思議を完全には理解できません。

私がある午後の集会に出た時のことです。主は恵みをもって私たちに臨まれ、大勢の人々が神の御力によっていやされました。ほとんどの参加者が帰って、私は一人で残っていました。その時、一人の若い男性が、明らかに何か言いたそうにして帰りあぐねているのを私は見つけました。私は声をかけました。「何かしてもらいたいことがありますか。」彼は言いました。「私のために祈っていただけないかと思いまして。」私は「何かお困りなのですか」と聞きました。「臭いがしませんか」と彼は答えました。その若い男性は罪を犯し、その罪の結果に苦しんでいたのでした。彼は言いました。「私は二つの病院から追い出されました。私のからだの至る所に腫れ物があります。腫れ物でからだ中が覆われているんです。」彼の鼻にはひどい腫れ物がありました。彼は言いました。「あなたの説教を聞きましたが、いやしのわざについて理解できませんでした。私に希望なんてあるんだろうかと思っています。」

私は彼に言いました。「イエスさまのことを知っていますか。」彼は救いについて初歩的なことも知りませんでした。でも私は言いました。「静かに立っていてください。」私は両手を彼の頭の上に置き、それから腰に手を置いてイエスの御名によってそのおぞましい病気を叱りました。彼は叫びました。「私はいやされたことがわかります! 私のからだがじーんと温かくなるのを感じます。」ああ、私たちの神はなんと恵みに満ちた神でしょうか! なんと素晴らしいイエスさまが私たちのものになってくださったのでしょうか!

あなたには重荷がありますか。神を呼び求めて下さい。人々にとって呼び求めることはいつでも良いことです。あなたにとって今が呼び求めるべき時かもしれません。聖霊と神のことばが、覆いを取るべきあらゆる隠れた汚れた事柄に光をあてます。神に、あなたの人生をひどく傷つけて損なっている原因が何なのかを探っていただくなら、いつでも解放していただける可能性があります。会堂にいた男性についていた悪霊は「私たちをほうっておいて下さい!」と叫びました。イエスさまが彼のいる場所に歩いて来た時に初めて、悪霊がそのように叫んだという事実は注目に値します。イエスさまは悪霊を叱りつけて、「黙れ。この場所から出て行け」と命じ、その男性は解放されました。イエスさまは今でも全く同じ方です。悪しき力を追い出し、捕らわれ人を解放し、重荷を負う人を自由にし、彼らをきよめ、心を洗ってくださいます。レギオンという名の大勢の悪霊が、ある男性についていました。その悪霊どもはまだ時が来ていないので、底知れぬ所に行けとお命じにならないようにとイエスさまに願い、かわりに豚に入ることを許してくださいと叫びました。地獄とは、悪魔どもでさえ、そこに行くのを考えるだけでも怯えるほどにおぞましい場所なのです。人間はなおのこと底知れぬ所から救われるように求めるべきではないでしょうか。

神はあわれみ深く言われます。「主を求めよ。お会いできる間に。」(イザヤ五五・六)さらにこう言われます。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ一〇・一三)今、主を求めて下さい。主の御名を今こそ呼び求めて下さい。そうすれば赦しも、いやしも、解放も、あなたが今ここで必要としてるあらゆるものも、あなたを永遠に満ち足らせるものも、与えられます。