著者の弁明
はじめて筆を手に取りこうして書き始めたとき、私は思いもしなかったこのような形の小さな本を自分が書くことになろうとは。いや、私は別の本に取りかかっていたのだ。それがほぼ書き上がったころ気づかぬうちに、私はこれを書き始めていた。
いきさつはこうだ。この福音の時代の聖徒たちが歩む道と競走について書いているうちに私はふと、寓意に入りこんでしまった聖徒たちの旅路と、栄光に至る道をめぐる寓意に。書きとめたことは二十を超えた。書き終えると、頭にはさらに二十が浮かんでいた。それがまた増え始めた燃える炭から飛び散る火花のように。
そこで私は思った。そんなに早く増えるのならお前たちは別にしておこう。さもないと、しまいには際限がなくなっていま取りかかっている本を食いつぶしてしまう。
そこで、そのとおりにした。けれどもこのような形で書いたものを世の人々に見せようとは思っていなかった。ただ何とも知れないものを作ろうと思っただけだ。これで隣人を喜ばせようとしたのでもない。いや、そうではない。私は自分の楽しみのために書いたのだ。
この走り書きに費やしたのも暇な時間だけだった。もくろみといえばこうして書くことで、気をそらすことにすぎなかった私に過ちを犯させる、よからぬ思いから。
こうして私は、喜んで紙に筆を走らせたちまち思いを文字にした。書き方の糸口をつかんだのでたぐるたびに出てきた。それを書きとめていくうちについには、縦にも横にもあなたが見ているほどの大きさになった。
こうして書いたものをまとめ上げるとほかの人々に見せて、確かめようとしたけなされるか、認められるかを。ある人は「生かせ」と言い、ある人は「殺せ」と言った。ある人は「ジョン、出版しろ」と言い、ほかの人は「やめておけ」と言った。ある人は「役に立つかもしれない」と言い、ほかの人は「立たない」と言った。
さて、私は板ばさみになりどうするのがいちばんよいのか、わからなくなった。ついに私は思った。意見がこう分かれているのなら出版してしまおう。こうして事は決まった。
私は考えた。見たところ、出版を望む人もいる同じ考えに流れない人もいるけれども。では、だれの勧めがいちばん正しかったかを確かめるためこうして試してみるのがよいと思ったのだ。
さらに私は考えた。もしここで、出版を望む人々の願いをかなえるのを拒んだらその人々にとって大きな喜びとなるはずのものを私が妨げることになるかもしれない。
出版に反対する人々にはこう言った。「気を悪くさせたくはない。だが、あなたがたの兄弟はこれを喜んでいるのだからもっとよく見るまで、裁くのは控えてほしい」
読みたくないのなら、放っておけばよい。肉を好む者もいれば、骨をしゃぶるのを好む者もいる。そうだ、彼らをもっとなだめようと私はこうも説いてみた。
このような文体で書いてはいけないのか。このような方法で書いて、それでいて私のめあて、つまりあなたの益にかなうことはできないのか。なぜいけないのか。暗い雲は雨をもたらすが、明るい雲はもたらさない。そうだ、暗くても明るくても、銀のしずくを降らせさえすれば、大地は作物を実らせてどちらをもたたえ、どちらにも文句をつけない。両方がともに実らせたものを蓄える。そうだ、両方をすっかり混ぜ合わせるので、その実りの中でどれがどちらのものか、だれにも見分けられない。大地は飢えているときには両方を喜ぶ。だが満ち足りていれば両方を吐き出し、その恵みを無にしてしまう。
漁師が魚を捕るのにどんな手を使うか、知っているだろう。どんな仕掛けをこしらえることか。見よ、彼はありったけの知恵を絞りわなも、糸も、釣りざおも、釣り針も、網も使う。それでも、釣り針でも糸でもわなでも網でも仕掛けでも、手に入らない魚がいる。手探りで捜し、くすぐってやらなければ何をしても、その魚は捕れない。
鳥を捕る者は、獲物を捕らえようとなんとさまざまな手を使うことか。とても数えきれない。鉄砲に網、鳥もち、明かりに鈴。はい寄り、歩き、立ち止まる。そうだ、その身構えをだれがすべて言い尽くせるだろうか。それでも、どれひとつとして思いのままに鳥を捕らせてはくれない。この鳥を捕るには、笛を吹き口笛を鳴らさねばならない。だがそうすれば、あの鳥は逃してしまう。
真珠がひきがえるの頭に宿ることもありかきの殻の中に見つかることもある。何の見込みもなさそうなものの中に金にまさるものがひそんでいるのなら、それに気づいた者で見つけようとして、そこをのぞくのをいとう者がいるだろうか。さて、私の小さな本は(あれこれの人の気を引くような飾りこそ何もないが)派手で中身のない考えに宿るものよりすぐれたものを欠いてはいない。
「それでもまだ、すっかり納得はできないあなたのこの本が、厳しく試されたときに持ちこたえるとは」おや、何が問題なのか。「暗くてわかりにくい」と。それがどうしたのか。「だが作り話だ」と。それがどうしたというのか。私のと同じくらい暗い作り話のことばで真理をきらめかせ、その光を輝かせる人もいる。
「だが堅実さに欠ける」と。さあ、思うところを言ってみるがよい。「弱い者を溺れさせる。比喩は人の目をくらませる」
たしかに、神のことを人々に書き記す者の筆には、堅実さがふさわしい。だが、比喩で語るからといって私に堅実さが欠けていることになるのか。神の律法、その福音の律法は、昔、示されたではないか型や影や比喩によって。それでも思慮のある人なら、それにけちをつけるのをためらう至高の知恵に挑みかかる者と見なされないように。いや、むしろ身をかがめて捜し求める。釘や輪によって子牛や羊によって、若い雌牛や雄羊によって鳥や草によって、また小羊の血によって神が何を語っておられるのかを。さいわいなのはそれらの中にある光と恵みを見いだす人だ。
だから、早まって決めつけないでほしい私に堅実さが欠けている、私が粗野だと。堅実に見えるものが、すべて堅実なのではない。たとえで語られるものを、すべて侮ってはならない。さもないと、ひどく害になるものを軽々しく受け入れ良いものを、自分の魂から奪い取ってしまう。
私の暗くおぼろなことばは小箱が金を納めるように、真理を納めているだけだ。
預言者たちは、真理を示すのに比喩をよく用いた。そうだ、キリストとその使徒たちのことをよく考える者は、はっきりと知るだろう真理が今日に至るまで、こうした衣をまとっていることを。
私は恐れずに言おう。聖書は文体でも言い回しでも、あらゆる才知をしのぐがいたるところで、こうしたものに満ちている暗い比喩や寓意に。それでいて、湧き出ているのだまさにその書物から、あの輝きが、あの光が私たちのいちばん暗い夜を昼に変える光が。
さあ、私にけちをつける者は、自分の生き方をよく見るがよい。そこには、私の本の中に見つけるどんな行よりも暗い行が見つかるだろう。そうだ、思い知るがよい自分の最上のものの中にも、もっとひどい行があることを。
公平な人々の前に、私たちが並んで立つことができたなら彼の一に対して、私は十を賭けてもよいその人々は、この詩行にこめた私の意味のほうを銀の祠に納めた彼の偽りよりも、はるかによく受け取ってくれるだろう。さあ、真理は、たとえ産着にくるまれていても判断を教え、心を正すものだと私は知っている。悟りを喜ばせ、意志を従わせる。記憶をもまた私たちの想像を楽しませるもので満たし私たちの悩みを和らげてくれる。
テモテが健全なことばを用い愚にもつかない作り話を避けるべきことは、私も知っている。だが、謹厳なパウロも、たとえを用いることを彼に禁じたところはどこにもない。たとえの中にはあの金、あの真珠、あの宝石が隠されていた掘り出す値打ちのある、それも細心の注意を払って掘るに値するものが。
もうひとこと言わせてほしい。神の人よあなたは気を悪くしたのか。私が自分の書くことを別の衣を着せて示せばよかったと思うのか。あるいは、もっとはっきり言えばよかったと思うのか。三つのことを述べさせてほしい。そのあとはそれがふさわしいように、私にまさる人々にゆだねよう。
一、私はこの方法を用いることを禁じられているとは思わない。ことばにも、事柄にも、読者にも乱暴を加えず、象徴やたとえを扱うにもそれを当てはめるにも、粗雑にならずできるかぎり、あれこれの道で真理を推し進めようと努めるのなら。禁じられている、と言ったか。いや、私には許しがある(手本もある。それも、ことばや行いによって今の世に息をしているだれよりも神を喜ばせた人々の手本が)こうして思いを言い表し、こうしてこのうえなくすぐれたことを、あなたに告げる許しが。
二、木のように高い身分の人々も問答の形で書いている。それでも、そう書いたからといって彼らを軽んじる者はいない。もちろん、真理をゆがめるのなら、彼らはのろわれるがよい。そのために用いる技も、のろわれるがよい。だが真理には自由を与えよう。あなたや私に向かって打って出る自由を神のお望みになるやり方で。ご自分の計画のために私たちの思いと筆を導くすべを、私たちに初めて耕すことを教えた方よりよく知っている者が、だれかいるだろうか。その方は卑しいものに、神聖なものの先ぶれをさせるのだ。
三、聖書は多くの箇所でこの方法に似たことをしている。ある事柄を示すために、別の事柄を持ち出すのだ。だから私もこれを用いてよいし、それで真理の金色の光を少しもさえぎりはしない。いや、この方法によって真理に、昼のように明るい光を放たせることができる。さて、筆を置く前に私の本の益を示そう。それからあなたも本も、あの御手にゆだねよう強い者を引きおろし、弱い者を立たせる御手に。
この本は、あなたの目の前に描き出す永遠の賞を求める人を。その人がどこから来て、どこへ行くのか何をせずにおき、何をするのかを示す。また、その人が走りに走ってついに栄光の門にたどり着くさまを示す。
また、いのちを求めて勢いよく出発する人々も示す朽ちない冠を得ようとするかのように。ここではまた、そのわけも見ることができる彼らが骨折りを無にし、愚か者のように死んでいくわけを。
この本は、あなたを旅人にするだろうその勧めに従うならば。あなたを聖地へと導くだろうその導きを悟るならば。そうだ、怠け者を働き者にし盲人にも、喜ばしいものを見せるだろう。
あなたは、まれで益になるものを求めているか。作り話の中に真理を見たいか。あなたは忘れっぽいか。元日から大みそかまで覚えていたいか。それなら、私の空想を読むがよい。オナモミの実のようにくっついて離れず頼る者のない人には、慰めとなるかもしれない。
この本は、気のない人々の心をも動かすようなことばづかいで書かれている。目新しく見えるが、その中にあるのは健全で誠実な福音の調べばかりだ。あなたは憂いを晴らしたいか。楽しくありながら、愚かさからは遠くありたいか。なぞとその解き明かしを読みたいか。それとも、もの思いに沈みたいか。骨の肉をつつくのが好きか。それとも雲の中に人を見て、その人が語りかけるのを聞きたいか。眠らずに夢の中にいたいか。それとも、同じひとときに笑いもし泣きもしたいか。何の害も受けずに我を忘れまじないなしに、また我に返りたいか。自分自身を読み、何とも知れないものを読みそれでいて、自分が祝福されているかどうかを
同じ詩行を読んで知りたいか。ああ、それならここに来て私の本と、あなたの頭と心とを、ひとつに合わせるがよい。
ジョン・バニヤン